前回、「宿命のライバル対決 柔道 日本対フランス」でブログを書いた時、始めて知った柔道家の名前でした。
どんな人物だったのか非常に興味がわき、ネットで調べると自伝が出版されていることがわかり本を購入しました。
題名 「世界にかけた七色の帯 フランス柔道の父 川石酒造之助伝」とありました。
私が知っている昔の柔道家は西郷四郎(姿三四郎のモデル)、前田光世(グレーシー柔術の祖)、三船久蔵(空気投げで有名)、徳三宝(奄美大島出身、三船のライバル)、木村政彦(史上最強と謳われる)等いますが、川石酒造之助は知りませんでした。
日本では余り知られていない理由として戦前、大日本武徳会と講道館の対立もあり、武徳会出身の酒造之助、それと教授方法が講道館と違うために
疎んじられたようです。
従い、広く知られる機会がなかったためと思われます。
名前が示す通り家が酒造り家、田端義夫「大利根月夜」で歌われる平手酒造と同じ名前が使われています。
特徴のある名で余計興味がわきました。
本の年表によると、1899年(明治32年)8月13日、兵庫県姫路市手柄の川石孫次郎の5男として誕生。
大正7年2月、大日本武徳会より初段を受ける。
大正13年、早稲田大学政治経済学部卒業、その年12月23日講道館の紅白試合によって4段に昇段。
本は川石酒造之助が再びパリへ戻るところから始まります。
このパリ行きは、永住覚悟で生涯日本には戻ることはなかった。
自伝を読み、彼がいかに柔道をフランスに根付かせたか、いわゆる「川石方式」と言われ、技名がフランス人には覚え難いので腰投げ1号と言うように技に数字を使い覚えやすくしたこと、昇級の励みとするため「七色の帯」を採用した事が大きいかったようです。
それと彼自身の才覚もあったことも挙げられます。
もともと政治家志望、その点の才能が普及に役立ったようです。
詳しいことは本を読んで貰うしかないのですが、私が読んで「何故にフランスに広まったか?」と言う点に関心が行きましたので、
その点を記述します。
元フランスナショナルチームのメンバーで柔道6段、現在ボルドー大学スポーツ学部の教授がフランスの柔道史を著した本「柔道 その歴史と成功」に詳しく書かれていました。
それによると19世紀末には、柔術が知られるようになり1900年前後頃には古流柔術のフランス、イギリスでも護身術として演武されています。名を挙げると、谷幸雄、上西貞一、三宅太郎、大野秋太郎等、そんな早くにとこの記述をみて驚きました。
ブームの切っ掛けになったのはレ・ニエと言うフランス人が柔術を覚え、それが評判になってボクサーから挑戦を受けます。
6秒で勝負がつくのです。
極めた技「腕ひしぎ」。
これがたちまち評判となり、上流階級の人達が入門するようになったのです。
またその頃、フランスでは日本趣味(ジャポニスム)が流行り、日本の文化に関心が高まっていたことも影響しているのでしょう。
そんな背景もあり、酒造之助が柔道を教えた頃1930年代には受け入れられるようになっていたのでしょう。
また、フランス人が、日本の美、礼節、武道精神に関心があったことも理由でしょう。
戦前までに広く普及しましたが戦争のため酒造之助はフランスを離れなければならなくなります。
それで、戦後フランスの要請で、講和条約が結ばれていない時代でも再び渡仏できたのです。
これで、戦後広く普及し現在に至るのですが、酒造之助の功績で柔道教師が国家資格となり、授業料も他のスポーツより高いために職業として成り立つのに大いに役立っています。
日本では考えられません。
合気道の後輩で合気道教室を開いて職業として居る者もがいますが数名ほどです。
話しを聞けば道場経営大変様ですが、それで生計を立てている事に頭が下がります。
私の知る限り、海外の方が職業として成り立ちやすいように思えます。私が知る事例ですが30数年前合気道を習いに来ていた金髪女性のアメリカ人愛称「パット」と呼んでいましたが、師の葬儀の時久しぶりに会って知った事弟子が300人です。
驚きましたね、海外の方が武道の需要が高いです。
フランスも同じでブログに書いたように80万人が柔道を修業しているのです。
隆盛するのはやはりフランス人が武道精神を尊んでいるからこそ。
その記述を紹介します。
「・・・・・・柔道を習うときにはなにがしかの儀式が伴い、これが柔道の門外漢や初心者を驚かせる。品位ある態度、無駄口を慎むこと、厳格な礼儀作法を守ることなどこれら全体が柔道教授に分かち難く結びついている。この環境が芸術や技術を遥かに超えた能力を開発するのに必要なのである。「道場」とは人が深い内部からの変革を受ける場所なのだ。・・・中略・・・柔道について何を知っているか、何ができるか、が大切なのではない。重要なのは柔道によって自分がどれだけ変わったか、ということだ。柔道は知識の技でなく自己改革の技なのだ。柔道による自己改革はそれにかけた修業時間の長さに応ずる。先輩、後輩の序列は単に外観的なことではないのだ。・・・・・」
この文章を読みフランス人がここまで深く柔道というものを修業と理解していることに驚きました。
私自身、反省させられる思いです。
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