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訃報を9/1のネットニュースで知りました。
確か昭和3年のお生まれ、82歳です。
如何なさっているか、気にかかっていたのですが、残念でさびしい気持ちにもなります。
私らが子供の頃、相撲人気の全盛時代、栃錦と共に栃若時代を築き数々の名勝負を残し私の記憶に刻まれています。
若乃花、相撲の特徴は小兵ながら「小、よく大を制す」を地のまま体現されていました。
栃錦も同様ですが、なんといっても大技、呼び戻し(仏壇返し)は凄く印象に残っています。
鳴門海、潮錦、房錦などを土俵に叩き付けた業です。
左上手で、上手出し投げように崩しをかけ、懐に呼び込み右手で掬うようにして相手を裏返しにする技、本当に凄いです。
一度、貴乃花がそれに近い技を使ったことがありますが、決まり手は呼び戻しとはなりませんでした。
今の相撲取りには、もう出ない業だと考えます。
寄り切り、押し出し、はたき込みなどが多くなり、投げ技の決まり手が減っています。四十八手と言われ決まり手が多くあるのですが体現できる力士が育っていません。
それも、今の相撲が面白くない一因でしょう。
大型化、稽古量、質の低下も上げられます。

強靭な足腰を持っていた力士、その足腰の強さは、長男として一家を支えるため沖中士をしていた頃に身に付けたと聞いています。
岸壁から船まで板一枚の渡しを重い荷物を運ぶ仕事、板はしなり安定が悪くバランスを崩せば海に落ちてしまう過酷な作業、これが足腰を鍛えるのに役に立ったのです。
バランスを保ちながら、重いもの運ぶこの作業、武術的な足腰を作るに適した動作です。
現役時代、その足腰の良さ、剛腕さを見せています。
タニマチが部屋での稽古中に、一斗樽を持ち上げれば賞金をやるとけしかて、兄弟弟子であった若ノ海、若秩父などが挑戦するのですが、上げられません。
難しさは、入っている日本酒が揺れて上げづらくなるからです。
それを見ていた若乃花が挑戦、一気に差し上げてしまうのです。
この辺りにも、如何に足腰が強靭だったことがうかがえます。こんなことも出来るのはただ単に強靭と言うだけでなく、バネのようなしなやかさを持ち合わせていないと出来ない力技です。

 

なぜ一家を支えるために働かなければ為らなくなったのかは、自伝にこう記されていました。
「・・・花田家はリンゴ園を手広くやり、その傍ら精米所を経営していた。進取の気象に富んだ宇一郎(父親)は、不況を乗り切るためリンゴの品種の改良に力を入れ、金木の近くの嘉瀬に、家や精米所などを担保に入れ、山を買い、さらに十町歩(約10ヘクタール)ほどのリンゴ園を作った。まさに乗るかそるかの大博打であった。昭和9年4月、勝治は新和小学校に入学した。しかし、勝治は小学校1年生に2学期には転校せざるを得なかった。それはすべて自然がもたらした運命の転機だった。昭和9年9月21日、気圧911.6ミリバール、瞬間風速60メートルの室戸台風が津軽地区を襲ったのである。・・・」
この災害により、破産を余儀なくされ北海道に移り住むのです。

角界入りの切っ掛けは、後に師匠、花籠親方になる大ノ海の友人が、勝治の素質を見込んで宇一郎を口説き角界入りを薦め、あまりの熱心さに根負けしたのは宇一郎でなく、母きゑの方であったと自伝に記されています。
こうして、昭和21年11月4日に行われた新弟子検査に合格するのです。
174㎝、体重75キロ。
四股名は、師匠大ノ海の前名若ノ花。
戦後の入門で最初の横綱となるのです。

テレビでも放映されていましたが、なんといっても印象に残る名勝負は昭和35年、横綱千秋楽全勝同士の対決です。大相撲史上初めてということもあり大いに注目されました。
がっぷり四つ、栃錦、持久戦不利と見て若乃花右下手の手首をつかみ、まわしを切りに行きます。
その瞬間、若乃花、一気に栃錦を寄り立て、寄り切りで決着。
手に汗握る白熱の大相撲、本当に興奮しました。
今はあまり見かけなくなった相撲の取り口です。

栃若時代、どちらかと言えば若乃花が好きでした。けれど栃錦にも魅力を感じていました。
若乃花より年上で、戦前の入門です。
技が多彩で、二枚蹴り、首投げ、が印象にあります。
それにしても、あの頃の力士、個性豊かで、決まり手も多彩、娯楽の少ない時代でテレビ放送開始から大相撲が放送されたのが、人気が出た理由でしょう。
当時は民放も中継していました。
見て居て、楽しい相撲でした。

横綱昇進が昭和33年1月、10回優勝して引退が昭和37年4月30日、二子山部屋を起こしてからも、凄かった。
相撲社会に入り頂点まで登り詰めることができたのは、猛稽古との信念で力士を育てます。
現役時代、彼の稽古経験談に、稽古で疲労し体がきつくなってしまうがそれを我慢していると、疲労感がとれ何番でも稽古ができたと言っていました。
ある意味、ランニングハイと言われるような「ハイ」を経験したのでしょう。
ぶつかり稽古今は30番程度、しかし80番以上こなしたというから稽古量の凄さが伝わってきます。
その信念が、横綱隆の里、二代目若乃花、大関貴ノ花(末弟)、若嶋津、他大勢の幕内力士を輩出します。
確か部屋最初の関取が二子岳です。
一族で見れば、自身が横綱 弟が大関、かつ甥っ子二人が横綱を張っています。

現役時代は横綱を張り、親方になってからは名伯楽と称され、理事長までになった人。
まさに堂々たる人生と言えるでしょう。
自伝でも言っていましたが、リンゴ園が潰れなかったら今日の人生はなかったと。

でも、人生と言うもの良い事ばかりはなく、昭和31年に、長男、勝男君がちゃんこ鍋にしりからつっこんで、火傷がもとで亡くなります。
自伝で、述べています。
「親の不注意を責めるべきか、天の無慈悲を怨めというか、そのとき、私はよく気が狂わないですんだと思う。・・・」
この事故が彼を信仰の道にすすめ、数珠を肩にかけて土俵を努める姿が注目を受けるようになりました。
後は、長女幸子さんの離婚でしょう。
二代目若乃花と結婚するのですが、破局します。
マスコミでいろいろと言われていましたが、二子山親方が強引に決めたことが原因と伝えていたように記憶しています。
脱税問題を起こしています。
中野税務署が二子山部屋の経理にメスを入れたのです。
それまでは各地区の税務署は相撲部屋に対しては国技だからといって税制面で厳しい監査はしていなかったようですが、時代の移り変わりでしょう。
バブル景気が終わった平成7年ごろの出来事ですが、その頃の景気でも多くの収入があったのでしょう。
相撲部屋、税に対する「甘えの構造」「ゴッツァン」体質を変えることを迫られます。
そして今、財団法人相撲協会の体質の改善を求められています。
新理事長 放駒親方に「大変な時期だ、しっかり仕切れよ」とお見舞いに訪れた時、話したとのこと。
ご苦労様でした。昭和の御代、大変な時期を克服しながら生抜き、波瀾万丈の人生ともいえます。
ご冥福お祈りします。
合掌

<追記>   白鵬 大技「呼び戻し」で土俵の鬼継承

白鵬が"土俵の鬼"の技を継承する。立浪一門の連合稽古が2日、東京都江東区の伊勢ケ浜部屋で行われ、横綱・白鵬は申し合いで新十両・宝富士を「仏壇返し」とも呼ばれる大技「呼び戻し」で豪快に投げ飛ばした。ネットニュースより

白鵬が以前から、あこがれていたようで、若乃花の映像を見ては稽古していたそうです。
本場所で決められるかどうか?

対戦力士格下で、軽量であればチャンスはあるかも。

 

参考資料

「土俵の鬼 二子山勝治」 著者 川端要壽 出版 河出書房新社

「花田家三代の謎」 著者 由比三次 出版 ピイプル社

塗装不具合として返品された製品を確認した結果、ダイカストの成型時にバリの形として現れた現象。

目視で見分けがつかないケースが多々起きます。

 

9tuki hinnkann.jpg 

次の写真は同じ箇所に出た現象で、打痕ではないかとは判断されたが、拡大してみると湯じわの現象に見える。

9tuki hinnkann1.jpg湯の流れ方から起きる現象です。

 

三冊目に借りた「日本武士道史」を読んだ感想文をメールして来ました。
電話で、お礼を言いそれを皮切りに、会話をしました。
私は弟子に、自分が武士道に関心を持った経緯などを話、彼との時代的背景の違いなどを説明しました。
彼は、さほど予備的な知識はなく、彼、本から学んだ事柄が心にしみるように入っていたのでしょう。
感想文から見てとれます。

私は彼にこう言いました。
「小さい頃は、娯楽的な時代劇が流行っていたが、昭和30年代後半頃には封建制度の問題点を突くような時代劇が作られるようになった。例えば「切腹」、「武士道残酷物語」、「拝領妻始末、上意打ち」など、忠誠心を逆用してその武士の人生を翻弄するような物語があって
、高校生の頃、そんな映画を見て、武士道に疑問を持つこともあったが、自分なりになりに咀嚼し大切なことと理解した」と。

やはり日本人なのでしょう、武士という言葉の響きに惹かれるのは。
強さにあこがれる子供の頃、そんな男になってみたいと思う対象になったのでしょう。
他に、時代劇でその頃流行っていたのは、「座頭市」「眠狂四郎」などが記憶にあります。
剣を取れば天下無敵。
「強さ」が常にテーマにあります。


感想文に「信義」「勇気」などの言葉が出てきます。
今、日常的にはほとんど使われなくなっている言葉と感じます。
以前、ブログにも書きましたが、精神性を示す言葉、「克己」「泰然」「従容」「悠然」など読める人が少ないこと自体、精神面に目を向けることがなくなって来ているのだと思います。
私自身は、大学で合気道部に入り、肉体、精神を鍛錬しなければと思っていました。
4年間でしたが、その期間の経験が根っ子となり、今もその時に学んだことが生きて、考え方にも良い影響を受けたと感じています。
合気道開祖は精神性に於いて、神道の影響が多くあり、記紀についても造詣が深く、合気道を通じて我々にその理念を教えています。
若い頃は、チンプンカンプンで話を聞いても全く分からず、正座をしてお話を聞かなければならないことがつらかった思い出があります。
しかし、30歳過ぎた頃先輩の弟さんから頂いた開祖の講話テープを何度となく聞いているうちに考えが理解でき、年と共に関心を持つようになり、今は少しずつですが、※大和言葉の意義、神道、記紀などの書籍を読んで勉強しています。

※教材として、25年前に購入した「コトバの原点」から学んでいます。音図表アイウエオを基に「事=言」の成り立ちを学び、言行一致の大切さを教えています。

例)ヤマとシマのコトバから、現象的には個々(山と島)の存在と見えても、マ語の次元では、同じ地殻(全)から個々のエネルギー現象である事を知った。従ってマ語という基語の性格は(語位相)は連続性(全)の中の個々のエネルギー現象と、一応定義づけることができる。そのマ語の位相は、他の語と組み合わされても、その原則は変わらない。

 

合気道と出会えなかったら、まず関心を持つことはなかったと思います。
精神文化として日本民族の原点とも思えるようになりました。

そう言う意味で、日本民族の骨格をなしていた武士道精神に関心が及ぶことはうれしく思います。
彼も感想文で書いているように、「覚悟」に強い関心が行った事、読んでもらった甲斐があります。

 

以下の記述は彼の感想文です。

「この本を読んでの一番の印象は、日本人の覚悟である。
以前日本人には、滅私奉公、七生報国の過程には死に物狂いの哲学があったようだ。
武士道とは日本独自の行動哲学だ!とこの本の冒頭にあった言葉であるが、それがいつの間にか日本人の心から失われてしまった。戦国武将の行動からは勇気と信義を見て取れた。"義のためには例え友であっても友情も捨てる"
という覚悟!また織田信長をして手も足も出なかったという家臣:稲葉一鉄の行動・・・そこには彼なりの哲学がある。それが、男心を擽る。

ところがいまはどうだ!多少の弾圧で志を変える現代人。そんな人間に誰が付いていくか。時勢に従い豹変する政治家・学者・文化人しかりである。(自分の事は棚に上げさせて頂くが(失礼))
金や名誉は欲するが責任感が無い。責任も転嫁する。よって問題も起こす。
本来の日本人には覚悟があった。それが西洋人から見れば美しくみえるのであろう!合理主義も否定はしない。が、心が見えない!

人を活かすためには人間力を磨く必要がある。それを怠った日本人は見事な1億総エコノミックアニマル、成金になった。
40年前、東京大学の大河内総長が卒業生に行った言葉「太った豚になるよりは、痩せたソクラテスになれ!」これが全く活かされることなく今に至っている。
今こそ武士道を見直せ!と問いたい。今の教育からそれを学ぶことが出来ない。では、どこから学ぶのか・・過去から学ぶしかない。温故知新である。昔の良いところを残しつつ新しい考え方であればよかった。ところが以前の良い部分は全て封印してしまった。
今こそ日本人が気づいてその精神を学ばなくてはならない。当時の武士は、社会正義、人のための哲学を持っており、それがぶれていない。君を通し忠誠を通して社会正義に通じるものであった。
① 武士道に於ておくれ取り申すまじきこと
② 主君の御用に立つべきこと
③ 親に孝行仕るべき事
④ 大慈悲を起こし人の為になるべき事

・ ・これを現代人はどう思うか。
武士道は、日本の行動と思想の基準を作ったのだ。
その武士道は簡単に得られるものではない。一生賭けての修行の道である。
勇気を持って立ち上がれ日本!そして覚悟と責任感をもって立ち上がったときこそ真の日本人の誕生である。そう感じさせた一冊であった。」

結びの言葉に、「勇気」「覚悟」「責任感」と記しています。
草食系男子なる言葉が流行る今の世相から見えてこない事を認識したのでしょう。

参考資料

 

2010_0817_141711-DSCN0629e.jpg武士道史e.bmp 

 

8/23、この円高に関してメールが届きました。
T氏からです。この方とのご縁は当社の塗装設備を製作設置して頂いた時で、その設備会社の社長さんでした。
数年前、再会しそれ以来折に触れメールでやり取りしていました。
今は、隠居の身ですが、社長業を長くやっておられた習性からか今でも経済、政治に関心を持たれています。
今回の政府(民主党政権)の円高対応にえらくご立腹のご様子。

製造業に携わっている者には、本当に何とかしてもらいたい一件です。

メールでこう述べています。
「円高に対する対応について、
菅首相、避暑中の軽井沢から電話にてどうも円高が進んでいる様だが十分注意をする様に、」この対応に次の見解を述べています。
「現在の円高が日本の産業界にどの影響が有るのか理解されていれば、なにおいても東京に即戻り、関連する閣僚を集め協議すべきなのに、夏休みだからと言いながら、其のまま軽井沢で過ごしていた。
その後東京に戻り電話で日銀の白川総裁と連絡をとり25日に会って協議することにした。」

この行動に対して、次のように批判されています。

「トヨタ自動車にどの様な影響がでるか少しでも判っていればこんなのんびりした考え、行動あるはずがないと思います。従来には利益一兆円で、法人税40%とすれば4000億の税収があることになり、国が困窮している時真剣に又ただちに行動をすべき時、なにを考えているのか、と同時に絶望すらも感じます。株式市場の大幅な値下がり、上場の株式の総額は判りませんが例として総額350兆円とすれば其れの20%と考えれば国、企業、国民の資産が70兆円消えたことになります。それ以外にアメリカの国際外貨準備としてのドル等を考えた場合国富の損失は大変な物になります。政府から単独で為替を操作しても効果がないなどと言っている馬鹿がいるが。
所詮為替も投機対象として行われています。今の菅首相の態度を見ていれば日本は円高の是正を真剣に考えていないと判断し、安心してドルを売ってきているのが現状と思います。


投機資金は非常に敏感で相場が反転すると思えばドライに円を売ってきます。株も為替も心理的要因で大きく働くと思うのが常識です。現在の円高は今の内閣、日銀の無策が最大の要因と考えます。」
今朝のテレビニュースでの菅首相、野田財務大臣の円高対応についてのコメントを聞いても、一言でいえば「静観」です。裏を返せば「何もしない」という事です。


T氏が言われた「株も為替も心理的要因で大きく働くと思うのが常識です。」がない事を証明しています。
立腹されて当然でしょう。
経営に携わっていた経験からしても、何もしない、動かないことが許せないのだと思います。経営は、経済環境に対応してかじ取りをしなければなりません。
T氏の考え、思いを知っているが故に怒る理由がよくわかります。

 

国防、領土問題にも触れていました。
次のように述べています。
「中国のヘリコプターが日本の艦船に60Mまで接近し挑発した問題についても、岡田外務大臣が記者会見で、記者の質問にたいしてとんでも無い発言をしています。連絡が入ったのが金曜日の午後であくる日は土曜日、次は日曜日なので中国に抗議したのは月曜日になった。緊迫感も緊張感も無い発言をしましたが、こんな事でイザと言う時に国を守れないと思います。此の発言に対して菅首相も、仙谷も叱責はおろか注意すらしないとは呆れた面々と思います。中国は幾らなんでも理由もなしにこのような馬鹿な事をやる分けが無く、日本が事に当たってどの様な対応をして来るか判断をする為と思うべきです。正に円高と同じ様に、日本は無為、無策で此れならば尖閣列島等に対した対応を考えたと思います。」

要は、中国は日本の対応の仕方に探りを入れているのです。
T氏からすれば、政治家としての責務、「国民の安全、国益を守る、領土を守る」の欠落と映ったと思います。
昭和の時代と共に、戦前、戦中、戦後を体験されて来た方です。
また実業家として生きてこられた方の視線は鋭く、社会、政治の有り様を的確につくものがあるなと教えられたメールとなりました。
メールから一日本人としての「憂い」を感じているのが分ります。
私も同様、今のままで日本は世界に伍して通用する国になれるのか心配です。

 

小さい会社を経営していますが、経済環境変化に対し無為、無策では会社が潰れます。それとても日本と言う国があっての存在、国がおかしくなれば会社経営は成り立ちません。
それを支える責務がある政治家、T氏が憤るのも当然です。
ある経営指南書で教えて頂いたことがあります。
「会社の利益は構成員メンバーの一人一人の能力に拠る」と。
国も同様、繁栄は構成員(国民)に拠ります。
国のリーダーたる者がこうではやり切れません。
先の参議院選挙でも、大勢の芸人などを候補者にした政党です。
政治家の使命は何たるかを真剣に考えリーダーたる者を選ばなければ、国際社会ではなめられてしまう国になってしまいます。

塩ビ系の樹脂の塗料を用いています。

模様の出し方は、霧化圧、塗料粘度、ガン口径で細かく出したり、粗く出したりできます。

紹介している模様は、細かい部類になります。

工程は、フラット塗りを施し、その上に模様出しの塗りを行います。

レザートーンe.jpgお客さまの要望でこれよりも細かい模様も出しているものもあります。

塗装実績でお知らせしましたが、拡大して模様を見やすくして掲載しました。

下の写真がレザートーン塗装した製品です。

レザートーン塗装品e.jpg

何時だったか、構内の書店で購入した本「一度も植民地になったことがない日本」全部読み切っていなかったので、奄美民謡の稽古へ行く際、車中で読もうと思い立ちました。
スェーデン人と国際結婚された方が書いています。
はしがきの終わりに「本書を通じてヨーロッパのフツーの人々が日本をどう見ているかを知っていただくことは、あらためて自分の国を見直すきっかけとなるかもしれません。
そのお役に立てれば、とてもうれしく思います。」と綴ってありました。

ヨーロッパの国々は、大航海時代から、アフリカ、南米、アジアへ侵攻し植民地支配した国ばかり、スペイン、ポルトガルから始まって先の大戦まで続けていています。ヨーロッパ諸国、そのお蔭で現在の繁栄が築かれていることに思いを馳せ、以前から関心があった植民地という言葉が、その本を買わしたと思います。
確かに、読んでいるとヨーロッパの人々の、考え、思いを理解でき、思いのほか差別意識が強いことがわかります。


「ヨーロッパ人が見たオランダ人」
この項では、世界一ケチな国民はどの国の人か?
フランス人は「それはスイス人である」と言い、スイス人は「オランダ人に決まっている」と言う。こういう小噺がある以上、ヨーロッパの国々のケチのベスト3はこの3国であることは間違いない!
高校のとき英語の先生から、オランダ人はケチで、「割り勘」の事を「ダッチ・アカウント」と聞いた事を思い出しました。
著者もその話に触れていました。
他に「ダッチ・ワイフ」(代用妻)「ダッチ・ガール」(売春婦)など、イギリスはその昔オランダと敵対していたために、悪いことはオランダ人の行為として英語になったそうです。
ヨーロッパの国々、つい最近まで国盗り合戦をしていましたから。

今はEUとして通貨も統一し、仲よくしていますが、差別の思いは残っているのでしょう。
ヨーロッパ人の日本の印象と言うと「日本人はビジネスだけの国」というイメージが強い。本当に残念と書き、それはある一面だけなのに、イメージが先行し誤解される事を憂いていました。
エコノミックアニマルと言われ久しいですが、ヨーロッパでもそんな印象なのでしょうか。 

私自身は海外へ行ったことはありませんし、行きたいとも思いませんが他国へ行って見聞を広める意義がこの本から伝わってきます。
日本流気配りはヨーロッパでは通じないことにも触れて、考え方の違いを教え、さらに、寡黙より、雄弁でなければいけない、意見を言わない人はバカとみなされると書いています。
ヨーロッパで暮らす、働く時は言葉の戦い方を知る必要がありそうです。
60年代後半、ソニーが出した求人広告を褒めていました。
『英語でタンカを切れる日本人、求む!』
なんと具体的に企業が求める英語力の高さと胆力を表現していることかと。


著者、女性初のコピーライターと紹介されていますが、本にその感性がにじみ出て面白く読めました。
情報通信手段が発達していても、本質を見抜くには現地で暮らさなければ解らないことが
あるのだと知らされます。
価値観、文化の違いを克服することも、大変な作業だと感じました。

切り口が様々で私が気づかない視点を教えられますが、読んで一番興味深かかった文章がありました。
それは、「植民地になったことがない日本」の項です。
恐らく、著者が一番言いたかったことではないでしょうか。
「マスターズ・カントリー」と言う言葉を紹介していました。
ご主人様の国と言う意味だそうです。
タクシーに乗った時、運転手に問われた言葉、「私は日本について何も知りません。日本のマスターズ・カントリーはどこなんですが?」。
その返答に「日本は植民地になったことがないんですよ」
発展途上国の移民である運転手の彼女にとって、
「同じ有色人種なのに、なぜ日本人はマスターズ・カントリーの住人と同等に生活ができるの?」と思ったのではないかと。
やはり、ヨーロッパでは差別があるのか。
つまり、彼女のような旧植民地から来た人たちが住まない場所に住んでいることが彼女にとって納得しがたいことだそうです。
次に「ゲスト・ワーカー」なる言葉。外国からの労働者、特に旧植民地からの人達を指し、差別言葉にあたるもの。

彼女の夫が言った言葉が「アジア、アフリカで植民地にならなかった国は、・・・・どこだろうな? おそらくひとつふたつしかないと思うよ。昔は一般的には"日本、タイ、エチオピア"と言われていたけど、エチオピアは第2次世界大戦前、イタリアに攻め込まれたし。あとはタイだけだろうな」
「え?そんなに少ないの?」
「日本は運がいい。いや、運がいいのでなく頭がよかっただろうな。だって織田信長のころ宣教師が来日したときや、徳川時代の終わりに西欧の国々が日本に開国をせまったときも、植民地になる危機があったわけだろ?」
著者その言葉を聞いたときハッとしたそうです。そういう考え方を日本の学校の歴史の時間に習った覚えがなかったからだと書いています。


私は今の日本の歴史教育のあり方に不満があるのも、うわべだけで歴史の中で起きた出来事のいい点、悪い点と言った見方、考え方を教えていないように思えるからです。
フランシスコ・ザビエルのキリスト教布教の背景にそんな意図があったことも教えるべきです。
でなければ、国際社会に伍していける知識が身に付きません。
私は歴史に興味を持っていたので、社会に出てからそのことは学びました。
日露戦争でロシアの敗北が如何に、白人社会にとって衝撃的な出来事だったことも理解できますが、年表をなぞるような教育をやっていては世界の動静が読めなくなります。
植民地にはならなかったが、アメリカに占領され、それ以上のダメージは受けているとお思います。形ではなく精神面で。
「ヨーロッパ人には有色人種に対して"ある感情"を持っている人々は今でも多い。それが表面に出てこないのは口に出さないからだ。」とも書いてありました。

 

「日本人の清潔さに驚いたバテレンたち」の項では、
「・・・・つまり彼等の真の目的はキリスト教布教とともに母国の領土を拡大することだった。つまり彼らは我が日本をもフィリピン、マカオ同様、植民地にしようとしていたのだ。このことに興味を示す日本人が少ないのはなぜだろう。
だから信長に続く日本の為政者たちがキリスト教を恐れたのは正しい判断だったと思う。
もしキリスト教布教を認めたら、日本はスペインかポルトガルの植民地になっていたに違いない。
ローマ法王の名において政治が動かされていたヨーロッパに比べ、そのころの日本はすでに政教分離がなされており、格段に進んでいたのである。
そのうえ、日本に上陸したバテレンたちが驚いたのは、日本人の清潔さであったという。
バテレンたちはアジアの端の端に、今まで征服してきたアジア、アフリカ諸国とまったく違う、大文明国を発見したというわけだ。・・・・・」
だから当時の日本人、「南蛮人」(南から来た野蛮人)と彼らを呼んだのでしょう。著者が言っていました。
納得です。
政教分離がなされていた」とありますが、今の政治体制より健全だったともいえるのではないでしょか。

「我が日本をもフィリピン、マカオ同様、植民地にしようとしていたのだ。このことに興味を示す日本人が少ないのはなぜだろう。」と書いていますが、私は歴史教育にあると思います。
スペイン人が中南米に侵略して、先住民がどれほど殺戮されていたかを知れば、信長、それ以降の為政者の判断に感謝です。そういう意味で政治家と言う職業は国の存続を図る大事な仕事に携わっていることを知らされます。
大雑把な集計ですが、コロンブスが到着した1492年の頃、1億1千万いた先住民が、インカ帝国が完全に滅亡した1570年には1千万まで減少しています。
友人が言っていましたが、「奴らは有色人種を人間と思ってない」とは、言い得ているのでは。
今でも国際社会は、弱肉強食の世界であることには変わりません。
それを理解し、対処の知恵を学ぶのが歴史教育ではないでしょうか。

参考資料 「一度も植民地になったことがない日本」 著者 デュラン・れい子 
     出版 講談社
     「侵略の世界史」 著者 清水馨八郎 出版 詳伝社

盆休みの8月13日、家族で秩父にあるお墓へ行き、ご先祖様とご対面。

その日は、関越道が渋滞という事で、一般道を使い秩父へと向かいました。日高方面へ走り、川越、飯能、秩父と道なりに走ります。飯能市に入ると山道で、曲がりくねった道路になり、山間を走り抜けます。

天気も良く、気持ちの良いドライブとなりました。

家を出てから、約3時間をかけて到着。

墓の掃除をし、済ませてからお墓の前で昼食となりました。

秩父は蕎麦屋が多く、蕎麦を食べることになっていましたが、腹が空いておにぎり、油ソーメン、などなど食べてしまい腹いっぱいとなり、

蕎麦はいらないのではと考えましたが、多少時間をおいて予定通り食べに行くことにしました。

蕎麦屋は、2キロほど離れた秩父神社の側にあります。

行ってみると、駐車場が満杯、お客が外に並ぶほど混んでいたので、弟家族とも相談し予定を変更し、長瀞、岩畳を見に行くことに。

そこの商店街には豆屋さんがあり、女房、ばあちゃんは買い物を兼ねて。

駅前にあった石碑201008131427000.jpg

小学校5年生の時遠足で訪れたところ、懐かしさがわきました。

この石碑の記憶はなかったです。201008131441000.jpg

商店街の街並み、盆休みで大勢の観光客であふれていました。

外人観光客も。

201008131432000.jpg

豆屋さんの試食、人気があり大勢の人が。

201008131448000e.jpg買い物を済ませ、岩畳へ。

写真では見難いですが、遠くに川下りの船が。201008131447000.jpg

小学校5年生の時、記念写真を撮ったと思しき場所。

もう、53年も前のこと。

 毎年、秩父へ墓参りをしていますが、いつも寄らずに帰っていました。

訪れてよかったと思えた一瞬です。

見物を終えて、蕎麦屋に入り家族7人で蕎麦、かき氷を注文、私はアユの塩焼きを。

観光気分を満喫した一日となりました。

 

 

昨年、3価クローメートの処理装置を導入し、内製化した際、何種か塩水噴霧試験を実施して有効性を検証した時のデータです。

試験片は、鋳造されたADC12を使用しています。

表面状態のばらつきを考慮して多くの枚数でやるべき所ですが2枚で行いました。

同じ製法で製造されたものでも表面状態にばらつきがあり、できれば多くの試験片をテストした方がよいと説明を受けてます。

協力してくれた薬品メーカーさんに感謝申し上げます。

長い取引実績があり、様々な金属製品を扱っている当社にとってかけがえのないパートーナです。

数多くの製品を扱うことは、それだけいろいろなトラブルとも遭遇する確率も高く、その都度トラブルの原因究明にお手伝い頂いた結果、

前処理作業の品質が高まり今日に至っております。

3価クロム皮膜+塗装 96時間噴霧E.pdf

今後とも、専門的立場から助言を頂き、品質向上に努めたいと思います。

塗装実績を更新しました。

 

当社HPを通じて問い合わせがあり、来社の上、営業担当と打ち合わせとなり、

ご要望として、品質改善、向上があり、お打合せした後、ご注文を頂きました。

素材が鋳物なので、パテ作業、研ぎの工程があります。

若手職人に、パテ作業の訓練をしていましたので、タイミングよく技能を試す機会となりました。

説明に、塗装工程を記してありますが、7工程もあります。

手がかかる仕事ですが納品して、その出来栄えに大変喜ばれました。

 

創業者である私の父は、戦前塗装工場でパテ技能を身に付けヘラ作りが大変上手でした。

漆を塗るヘラと同じ作りで、パテを塗りつけます。

ブログ「当社のルーツ」で紹介した写真を掲載しました。

ヘラを作る道具 タンバ

 

tannba.jpg材料のヒノキ

 

hinoki.jpg ただし、現在は市販されているプラスチック製のヘラを使用しています。

残念ですが、ヘラ作りの技能は市販されているものを使うようになってしまい、伝承されませんでした。

 

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◆担当:上野

 

前回と同じ現象ですが、原因が違って、アルミダイカスト製品の表面のわずかな亀裂に沿って塗膜が盛り上がり糸ケバに見える現象です。

塗装工程の前では発見しにくいもので、ダイカスト、鋳造など製法上から起因します。

hinnkann8tuki2e.jpg

亜鉛ダイカスト製品の表面にあった小さなフクレが外観上ブツとなった現象です。

以前にもご紹介していますが、その都度不良原因を特定して品質管理を行い、

得意先様にも、ご連絡申し上げ擦り合わせを行っています。

hinnkann8tuki1e.jpg

 

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