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2009年12月アーカイブ

年末年始休業日のお知らせ   2009:12:18:10:39:33

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平素はご愛顧を賜り誠にありがとう御座います。
下記の通り、実施いたしますので宜しくお願い申し上げます。
         
          記

● 平成21年12月29日~平成22年1月4日

   平成22年1月5日より平常通り営業いたします。

                (有)フジックス

12月塗装実績をお知らせします。(扉)   2009:12:16:15:26:51

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塗装実績を更新しました。

ご紹介します製品はマンションに使われる扉です。
ネットを通じて、ご用命のあった仕事です。
車など通りの多い街道沿いに建っているせいか、塗膜の劣化がひどく塗り直しの依頼です。
作業内容としては、損傷した(塗膜の剥離)、(再度の下地処理 リン酸亜鉛皮膜)、
屋外仕様のため、(耐候性などを考慮し下塗り、中塗り、上塗り3回)の塗装を施し、大きいので吊るし塗りで塗装を行いました。
当社の塗装はネットに製品を乗せ塗装するのがほとんどですが、静電塗装と同じようにトロリーコンベアーに吊るして、ハンドスプレーです。
下の写真はその作業風景です。

写真1
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写真2
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◆お問い合わせ先電話:049-266-5800
 受付時間:10:00-17:00(日・祝日を除く)
お問い合わせフォームはこちら
◆担当:上野

電車内の出来事   2009:12:14:12:57:08

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12月12日、その日、私が所属している奄美民謡教室、稽古後に忘年会があり、午後10時頃の帰宅となりました。同伴二人、先生と会の先輩3人で電車に乗りました。乗り込むと座っている若者3人が我々を見て席を譲るというのです。そのような対応をされることが初めてなので、驚きと同時に多少なりとも抵抗感を持ったのです。他二人、わたしよりは年は上でしたから、わたしは対象外と思いつつも、3人同時に席を譲ると立つわけです。私もその対象になったのかなと感じました。「いや、俺そんなに年を食っていないから、いいよ!」とわたしは辞したのですが、先生が「そうですか」と受け入れたので、私も、若者の態度が清清しく、素直にその好意を受けました。
私も、車内でお年寄りには席を譲るように心がけていますが、譲られたのは初めてです。

私が彼等に発した言葉とやり取りの光景が、おかしかったのか乗客2人の女性らが私を見つめ微笑んでいました。なんとなくおかしく感じたのでしょう。私、自分では若いつもりで居ますからなんとなく抵抗を感じながらの受け入れです。席に座ると、目の前に私より年上と思われる女性が立っていました。直ぐに席を立ち彼女に席を譲りました。立つと同時に前の席に座っていた仲間のもう1人が、私に声を掛けつつ「座って下さい」と席をたったのです。その好意に感謝しつつも「いや、大丈夫だよ」といって断りました。

仲間4人が、席を譲る行為、反応良く動いていましたので彼等日頃から心掛けている印象を持ちました。
席を譲られた女性が私に言うのです。「今時、珍しい若者ですね」。私は「席を譲られるほど年は食ってないのですが」と返答すると「若い人から見れば、年寄りですよ」と返ってきました。「そうですか・・・」と答えました。確かに大学生風でしたから、40才以上は離れているでしょう。
まだ、若い積もりでいられる根拠は母校の合気道部の現役と稽古をしても、引けをとらないし、合気道は職人技的な面があり経験がモノを云い、長い経験を持つ私の方が遠慮しがちに稽古つける事がそんな気にさせるのです。

その方と車中会話をしていると、私と年は変わらないようなニュアンスがあったので、私戦後生まれですと話しました。私から見ると明らかに年上と感じましたが、そんな年の差は無い印象を持ちました。子供の頃ファンだった女優「千原しのぶ」の名を上げたらご存知でした。ほぼ同時代だなと察しました。
その方、先に降りる時、席を譲った若者に「ありがとう」と言っていました。
彼等に、「遊びの帰りか?」と尋ねると、「いや、勉強の帰り」と朗らかに答えてくれました。

真面目な学生と感じつつ、好感が持てる明朗な若者でした。
彼等が下車する時、改めて「ありがとう」と言葉をかけて別れました。
しかし、自分の年齢を改めて自覚させられる経験でした。
けれど、席を譲られたのは同伴者のせいではないかと思っています。
これからはこんなケースに出くわす機会が増えるのでしょうか。

今月の事例は、ダイカストの外部欠陥が影響し外観不良となって表れた事例です。
ダイカストの鋳造の欠陥の種類を大きく分けると、
寸法上の欠陥
外部欠陥
内部欠陥
その他 となります
写真で示すように、表面に外部欠陥のフクレがあります。
前にも説明しましたが、鋳造後肉眼では見つけられず、最終工程の塗装工程を経て判明するケースが多々あります。
30倍の倍率でやっと確認できるほどの小さいもの。
塗装に影響があるものが、外、内部の欠陥です。
塗装後、このケースの場合外部欠陥の原因で発生した不良です。

写真1

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素材不良として、納品しましたが取引先のほうで塗装による外観不良ではないかと問い合わせがあり、担当者が再度調べなおしテープテストした所、その箇所にハガレが出ました。
写真をお見せし、不良原因を説明しました。

写真2

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前回のブログの続きです。
書く気になった理由は、このブログを書き終えて間も無く、当社へ銀行の営業の方が
来られて、このブログを読んでもらい感想を話してくれたことによります。
彼の感想は、10年ほど前、テレビ番組で「最近、運動会なので走って、転んだり、躓いたりする人たちが増えている」と報じていたと話してくれました。理由として、畳の生活から、生活様式が西洋化して座ることが減り、足首が硬くなり、走る時、歩く時、つま先から先に降りてしまう様になったのが原因ですと説明してくれました。
ブログを読んで、タイトル通り、なるほどと思えたそうです。

そんな話を娘に言うと、彼女、テレビ番組で聞いていたことを話してくれました。
内容は、最近若い人たち、ラーメンを食べる時、すすって食べずスパゲッティーと同じ様にフォークに絡めて食べるのです、理由は、ひとつには汁が飛ぶのを嫌うらしいのですが、すする事ができない人達出てきたそうです。ラーメン店の店主はそれを見て不愉快な感じを抱いたそうです。ラーメンを食べる時、汁を絡めて食べるほうが麺の味も活きるからなのでしょう。というよりラーメンを食べるのにと違和感を持ったのでしょう。

12月初旬、先輩が主催する合気道講習会があり、同期の者と受講し昼頃に稽古が終わり、私が川崎に行く用事もあり、食事でもしながら時間を潰そうと上野へ行きました。
店に入り、注文をし、酒を飲みながらの会話となりました。その中で話題にのぼったのが「今の子は大きい声」が出せないと言うことでした。
彼はある高校の教員をして退職しましたが、嘱託の身分で合気道の顧問として今でも高校で合気道を教えています。
稽古中、気合を出すため「大きい声を出せと」いっても、照れるのか出せないというのです。
出させるよう、強要して指導すればと言ったのですが、彼、そんなこと強圧的にやったら大変と言い、今は諦めたと言うのです。昔我々がしたうようなやり方(大学時代やった合気道部の指導方法)をしたら問題になってしまうそうです。
父兄からのクレームとなってしまうのでしょう。
モンスターペアレントなる存在が今はあります。能力を伸ばしてやろうと思ってもし難い時代になったもんです。

会話の中思い出話として、学生時代我々二人、呼吸法を学ぶにはいい修行があるといわれて古神道の修行を経験しましたことがあります。彼が先に経験して私に薦めてくれたのです。3泊4日道場に泊り込んで修行するのですが初体験の修行を初学といい、一日8時間ほど約1時間ごとに僅かな休憩を取り、正座し鈴を振って祝詞の一部の言葉を大きな声を出し精神を集中させる修行です。時間の目安が線香2本分、まだかまだと線香の減り具合が気になり精神集中が始めはできなかったのですが3日目位から集中するようになりました。
声が小さく、修行態度が悪ければ先達という立場の者が、背中、膝を強く手で叩き戒めます。まさに難業苦行です。その時、確か10人前後の修行者がいて女性も1人いたと記憶しています。
2日目には落伍する者が2人ほど出ました。その人たちの脚を見ると死人の様に血の気失せ黄色く見えました。長時間の正座のため血の巡りが悪くなり痺れの痛さに耐えられなかったようです。
こんな修行の中、邪気を取る深呼吸、何時間でも声を出すことを繰りかえして腹式の発声が身に付いたのです。
この修行は宗教的には、己の精神を高めるためのものですが、私の目的であった呼吸法も学べたのです。
前回も言いましたが、ヒトはある意図を持って事にあたらないと能力は身についてこないということです。
 
以前、ブログでタイトル「気になること」で触れたのですが、ペンや箸の持ち方が正しく持たない人がいるのも気になっていました。
正しく教えなければ、身に付かない実例のひとつです。
不器用になってきているのかどうか分かりませんが、躾として注意されることが身の回りでなくなってきたのでしょう。
ですから、自然成長的に身に付けたペンの持ち方、箸の持ち方になってしまうのだと思います。
赤ちゃんのオシメを取る時期を見計らい、親は便所で排泄する行為を躾けます。
当たり前のようにしている事も、「ヒト」は教えられて身に付けたのです。

テレビなので授業を受けている様子を見る機会が有りますが、明らかに昔より姿勢がよくありません。恐らく今頃の先生は注意していないように感じられます。
私など、姿勢が悪く背中が曲がっていると、背筋をシャンと伸ばせと大人たちから注意されたものです。
日常の所作を大事にしなくなっているのでしょう。
当たり前のように身に付けていた動作、所作も「ヒト」は訓練が必要なのだと思います。
前回でも触れましたが、ヒトが人間として成長するのは後天的要素(教育、躾、訓練)により、社会人としての行動則、思考判断能力、価値観が身に付けられるのです。

この社会(集団、共同体)あらゆる人たちが支えあって生きていることが前提に有り、それに適う 行動則、思考判断能力、価値観を「ヒトが人間として」求められているのだと思います。
公徳心、道徳、などは躾です。社会性から言えば協調性、責任感、自主性、主体性など個人として確立が不可欠ですが、タガが弛むと人間の脳は勝手なものです。
2、3日前の新聞に一面に大見出しで、『子供は必要ない 42%』と報道していました。
この記事を見て唖然としました。
ヒト科の人として、何百万年の歴史をつないでいる「自然の摂理」すら蔑ろにする人たちがでてきたのです。本当に驚きました。「子々孫々の繁栄」を願う思いなど彼等は理解できないのでしょう。
20代、30代は6割と記事は書かれています。
20~30代の女性の理由は「自由や気楽さを失いたくないから」ですと、そんな言い草ないだろうといいたくなります。男性は非正規雇用者の結婚意欲の低さが顕著、情けなくて「何でー」と言いたくなります。男が男として成長していない証、そう言えば同期と飲んだ上野の店の女性店員さんが言っていました。「依頼心が強く、俺について来いというような男はいません」と。

人間としての自覚も身に付かず、「人」の責務を放棄しています。
我々の親の世代を振返っても、手鍋提げて、鍋釜ひとつでといいつつ所帯を持った人たちは大勢います。
国の成り立ちの単位は家族です。このままでは国自体が危うくなる可能性大です。
戦後、自由、自由と騒ぎ60年、その間に育った人々が利己主義になっていた証です
国、国家が成り立ってこそ、自分達の暮らしが成り立っていることを明らかに忘却しています。
勝手すぎます。自分達を社会が支えてくれているのに、国(共同体)とは「何か」としっかりした国家観が彼等の「脳」に育まれなかったのでしょう。
そのシンボルとしての意義がある、国旗を掲げるか掲げないで騒いでいる国では無理なのでしょうかねー。
教育をする立場の者が、そんな認識、教育できるわけもないかー。
小学校の恩師が寂しそうに言われた一言を思い出しました。

「敗戦するということはこんなにも国を変えてしまうことなのですね」

※(「修身とは」)のブログ書く際、修身の授業の詳細を教えてもらうため、お電話して会話する中、仰ったお言葉です。
「能(脳)力の低下が心配」と、そんな傾向を感じるこの頃です。

最近、テレビ番組で私が気掛にかけていることを報道していました。
11月上旬、テレビ番組で幼稚園児ができないことを3つ挙げて紹介していました。時間がなくテレビからはなれて、ひとつの事例しか見られなかったのですがその一つが「しゃがめない」事でした。
和式便所が減って日常的にその動作ができなくなったのでしょうか。大腿筋、臀筋を使う機会が減って弱っていると説明していました。
驚きです。
そいえば、何時の頃か「うさぎ跳び」は膝によくないと言い出した人がいた事を思い出します。
私は、学生時代、うさぎ跳び、スクワットなどで鍛錬させられました。

だいぶ前から私自身の中で心配なこととして気に掛けていた事とダブるのです。子供が転んだ時、手をつけないで顔をぶつけてしまう子供がいると耳にしていた事とほぼ同じ現象に思えるのです。
ヒト科の人の定めで身体、頭(脳力)も、使わないと「ノウリョク」は低下するものと相場は決まっていると考えるからです。
その実例として、以前ブログ「北京オリンピックを観て」で記述した部分を引用し説明します。
合気道を指導していた頃です。
『10年ほど前ですが、合気道を習いに来た20代半ばの青年に基本動作を指導していた時、上半身が前屈みの半身体勢になったとき倒れたのです。この稽古は相手を倒す動作ではないのですが、倒れたのです。私は「えっ」と言う感じで多少の驚きを感じました。
「お前、何で倒れるのだ。バランス感覚が悪いなと」と声を掛けつつ、質問しました。「お前、子供のころ相撲をしたことがあるかと」聞いたのですが、「ありません」との返事でした。その返事でなんとなく倒れる理由を理解しました。私は子供の頃、遊びで相撲を良くやりました。相撲のような格技することで、投げられまいと踏ん張ったり、腰を落とし相手を押そうとしたりする動作でバランス感覚などを知らず知らずに身に付ける事が出来るのでしょう。』
これは一例ですが、私等が子供の頃より相撲で遊ぶ機会がなくなっていることから推察して、明らかに安定を図るバランス感覚が身に付かなくなっていると考えられます。
身体能力の低下として気にしている点です。
あるテレビ番組で、スポーツライターの二宮清純がスポーツ記者に相撲の説明をした時の経験談で、「前褌(まえみつ)」と云う言葉を使ったのですがその記者は分からなかったそうです。
これなどは、相撲で遊ぶ機会が減っている証でしょう。
相撲をすれば自然にそのような能力が身に付く事と同じ現象と思える事例ですが、逆な現象として、住居が高層化し高い所で育っている子供が増えて、高所恐怖症でなく、子供が高い所を怖がらないため転落事故が増えているとテレビで報道していました。
子供は特に環境に順応していくものだと思います。

次に触れたいことは、テレビ番組で「言語力低下」と題して、若い人たちの言葉の表現能力が落ちている事を取り上げていました。
この番組を観た時、やっぱりと思ったのです。
やはり、ブログ「意思疎通、情報伝達の意義(副題 上司の責務)」で言葉の表現能力、別な言い方でコミュニケーション能力が落ちているのを心配して書き綴っていたのです。
重複しますが、使わなくなると能力が身に付かない一端として、言語力低下の一因をついていると思うので引用します。
この文章、私のブログの感想文の一部です。
「世の中の傾向として、相手(お客様に限らず、関わりのある人全員ですが)が何を望んでいるのか、何を聞きたいのか、どういう回答を期待しているのか、最近、そういうことを察知する「感度」が鈍くなってきているように思います(私を含めてですが)。これは私見ですが、現代の通信機器の発達も起因していると思います。携帯、メールによりコミュニケーションの数が飛躍的に増えたと思いますが、顔を合わさないコミュニケーションなので、相手がどんな表情をしているのかとか感情の微妙な変化がわからないと思います。また、携帯メールは一方的な発信の最たるものであって、相手の反応は通信文章ですし、しかも返信までタイムラグがありますから相手の本音を感じ取ることが出来ません。そういう状況では、やはり相手の気持ち、感情をすぐに察知して対処する能力が伸びないのではないかと思います。・・・・」

テレビ番組では、実験である事柄について説明してくださいと若者に発言を求めるのですが、口籠って「・・・・・・」でした。
最近ですが、これに似た事をOB会で見せられました。
現役学生が演壇に立って40人ほどいるOBの前で挨拶となり、最上級生から始まったのですがあがっていた所為も有るのでしょうが、言葉にならないのです。それ以降OBから声がかかり、名前だけでもいいからと言って自己紹介を挨拶に代えていました

学校教育では「言語力検定試験」を設け教育して、身に付けさせるように取り組んでいるとの事。
これなども、普段日常生活の中で学べていたことが、機会が無くなり表現力が削がれている結果ではないでしょうか。日常的には支障はないのでしょうが、より上質な表現を求められる時、出来ないということは社会人として見る時、やはりマイナスな事と思います。

私が経験した遊びを上げると次のようなものがあります。
相撲、飛び馬、蹴り馬、綱引き、面子、ローラースケート、ベーゴマ、ケン玉、独楽回し、S字、缶蹴り、キックボール、ドッジボール、竹馬、B玉、釘倒し、などなど。
これらの遊びなど仲間同士が集まって行い、コミュニケーションを取りながら、ルールに則り「あーだ、こーだ」と明確な意思表示を自然と行っています。
こんな経験などがベースになって大人になってから役に立つようになっていたのでしょう。
新しい通信手段である携帯電話、メールの出現でコミュニケーションの仕方が変化し、
少子化も進み、兄弟も少なく、従兄弟同士の親戚付き合いがなくなりつつある子供社会では会話の時間が減り、且つ1人で遊べるゲーム機が主流になっている現状から推察して当然の結果と感じます。

もうひとつのテレビ番組は、対談形式のもので出演されていた方は、二宮清純、貴乃花親方、草野仁アナンサーがいろいろな事柄に触れ、それを対談しながら進めていくものでした。
前述したスポーツ記者が相撲についての知識が足りないことも話題にしていたのです。私が興味を引いたことは、若者の育て方が話題に上がり、貴乃花が考え方を話していた事です。弟子は我が子、生活の中で躾をし、私生活を律することで教育するということなのでしょう。たとえば、履物を揃えるなど、日常的に当たり前の事柄を教えるなど。
稽古に取り組む心構えとして、同じ事を繰り返す強い執念を持つことの大切さにも触れていました。この話を聞いて、なるほどナーと感じ入りました。「平成の大横綱」といわれるまでになれたのは、そのことだと思います。
合気道、居合いなどの稽古にも通じるものがあります。
二宮清純が貴乃花のエピソードを紹介していました。現役の頃言った言葉として、「早く老人になりたい」といったそうです。
貴乃花は横綱を張る大変さから、ある意味解放されたいと思う気持ちからそのような言葉を口にしたそうです。
私、前々から思っているのですが、年4場所にした方が力士生命は延びると考えていますが、興行的に収入の減少に繋がるからダメなのでしょう。
それにしても、横綱、精神的、肉体的に相当苛酷な立場なのだと思います。

相撲部屋は師匠、親方といわれる人と生活し稽古に励むやり方は、昔の剣術道場の修業と全く同じ方法です。
昔は「薪水の労」をとりながら、日常生活を共にしながら稽古し修行に取り組んだのです。薪を割り、水を汲む労働をして師匠に仕える作業の中に学ぶことの意義があったのでしょう。

ヒトはある意図を持って事にあたらないと能力は身についてこないということです。
人は「社会的動物である」という言葉がありますが、ここに「ヒト」として基本的な能力が求められているのです。
ヒトはヒトとして生まれていますが、後天的教育から人間として成長するのです。
インドで20世紀初頭見つかったオオカミ姉妹(オオカミに育てられた姉妹)「カマラとアマラ」はその典型的な例でしょう。人に引き取られてから食事の仕方、2足歩行、会話などを教えたのですが結局は躾られなかったそうです。
人間として成長するために躾というものが存在するのでしょう。
礼儀作法から、協調、思いやり、察し、躾は挨拶の仕方、日常の所作などなど。

インターネットのニュースが相撲について報じていました。
「・・・・1980年代、空手の修行で訪日した際、相撲の「歴史の重みが漂う雰囲気」に圧倒され、今も教え子にその「奥深さ」を説く。その思いは着実に伝わっているようで、道場に通う女子高生のアディ・ゲルステインさん(16)は「相撲が大好き。体が鍛えられ、自分に自信が持てるようになった」と目を輝かせていた。」
こんなニュースに触れると、いつも感じることなのですが外人の方が武道、武術としての意義を正しく理解しているのです。
太字の箇所が今日的に武道の意義のひとつと考えます。
40年ほど前に書かれた本に次の文言を見つけました。
「戦後、著しく道徳の混乱した現代社会において、剣道によって心魂を練り、武道を通じて日本人の心の原点に還ることは、真に意義深いものと思います。・・・」。私が学生の頃に書かれた本ですが、当時から精神的な荒廃は心配されていたのです。
スポーツである前に、武道として意義があり、勝負は二の次ということなのでしょう。
先人のお言葉を結びとします。
「剣の妙機は、日常生活の中の対人作法の中にある」
  直心影流 山田次郎吉

参考資料 「剣のこころ 勝海舟と直心影流」著者 並木靖 すずらん書房
     「武道の礼儀作法」 著者 野中日文 出版 合気ニュース
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