« 2010年6月 | メイン | 2010年8月 »

2010年7月アーカイブ

satennkouto3.png この模様塗装の特徴は塗装面にざらつきが出ることです。

特殊ポリエステル樹脂を主成分とした塗料。

レザーサテン塗装の特徴として、

素材の面の粗さをカバーし、工程が簡素化される。

硬度が高い。(3H)

耐摩耗性が優れ、しかも柔軟性に富んでいる。

模様の出方も、微細なものから写真のようなものと何種類かあります。

<メーカーカタログより>

外観検査後、原因特定のためデジタルマイクロスコープにて観察。hinnsitukannri7tukie.JPG

写真上、矢印で示す範囲が金型のキズから発生したものと思われる。

肉眼で見ると塗膜に付いた糸ケバ(繊維くず)に見えます。

拡大して原因を特定することで品質管理面で精度が上がります。

写真下、素材のフクレで外観不良となった。

このような現象は見た目では、原因を特定するのは困難ですが倍率を上げて観察することにより判明します。

ダイカストは一瞬で金型に湯が流れ込み形成しますが、金型内の湯の動きをコントロールするのが難しく発生してしまうのでしょう。

 

hinnsitukannri7tuki2e.JPG

塗装実績を更新しました。

照明器具の部品4点です。

形状のため、通常のネット置きで塗装は出来ません。

ハンドスプレーで一個吹き、専用の把手ホルダーを造り、マスキングをかねて塗装をしています。

塗装後は、ホルダーの受け器具に挿して、

焼付温度が通常より低いので、温度を下げてから炉に入れます。

 

◆お問い合わせ先電話:049-266-5800
 受付時間:10:00-17:00(日・祝日を除く)
お問い合わせフォームはこちら
◆担当:上野

先月末、ネットのニュースで報じられていた記事に関心が起こりました。
衆院本会議代表質問で、菅首相に問うた質問です。
答えた言葉は、国旗は大好きだし、国歌も決して嫌なわけでない___
平成11年成立の国旗国歌法に反対したことが質問された理由です。
国旗、国歌を好き嫌いの基準での答弁。
「オイオイ、それはないだろう」と言う感じです。
国旗「日の丸」が、長い歴史の中で日本民族が共有し、認知された背景には「日の丸」にたくす思いがこもって今日に至っているわけです。
「好き嫌い」がその判断基準では、あまりにも軽すぎます。国旗はそんなレベルのものではないと思いますが。
日本国の首相に国旗についての考えを糺さなければならない事に奇異な感じを抱いたのです。
首相は弁明として、「もっと元気のいい国歌でもいいかなという意見もあったが」と同法の採決での対応が割れた民主党内の情勢を説明したが、自身が反対した理由は触れずじまい・・・」
この答弁を外国の人たちが聞いていたらどんな印象を持つのかと想像したのです。
国のリーダーたるものに、その国のシンボル「国旗」をどう思っているかと聞くこと自体、奇異に感じるのではないかと考えられるからです。
もっと言えば、そんな質問が出る事自体おかしいと思うのではないでしょうか。
読者の方のどう思われるのでしょうか。
外人ジャーナリストの意見も聞いてみたくなります。報道する側は、そのような取材をして欲しいと思います。

 

日本が敗戦し、※無条件降伏統治の下、政治体制、精神文化、※教育制度などアメリカのプラグマティズム思想で解体し、変革が行われました。この是非はともかくとして、日本人には大きな転換期となったことは間違いありません。

※ 近代史に詳しい人に読んでもらい、記述に間違いが分かり、正しくは「ポツダム宣言受諾」であり、無条件降伏は間違いで有条件降伏です。と教えてくれました。

※(一例として、当用漢字が規定された理由に、アメリカ人らしい発想で、字数、字画の多い漢字を覚えるために無駄に時間を浪費している。だと! 今では当のアメリカ人が漢字文化を好んで使っている。例 刺青のデザインなどに)

 

 

それから65年が経ち、国として発展を遂げ、経済大国といわれる今日を築きました。
教育制度も大きく変わって、教育界では私等の世代では考えられない問題が現出しています。
その一つに教育現場で、国旗掲揚、国歌斉唱で揉めている事。
元公立高校の校長が体験を通して書いた本にそれを示すある出来事が記述してありました。
※「分会は、私の説明に納得しませんでした。彼らの頭の中には、校長と教職員は対等だという思いが抜き難くあって、職員会議で結論が出ていないのに国旗・国歌を実施すると校長が説明したのはけしからん、の一点張りでした。・・・・・・この話し合いの席で分会執行委員の〇〇教諭がB4版3枚に及ぶ『国旗・国歌反対と校長へ質問』を私に手交しました。
その内容は、ほとんど組合の資料から抜き出して作ったもので・・・・」
要は、分会の決定に従えということです。地方公務員法をネジ曲げて解釈し「交渉」といいつつ校長の指示に従わないのです。
「先生、武士道の本、持ってませんか」のブログでも触れましたが、真面目に日本を思い、教育に携わっている教職員は嫌気がさすのが当然と思いました。
小学校の恩師が定年前に辞めた理由は、このようなことだったのでしょう。

 

国旗としての「日の丸」、これが認知されてきた歴史的背景を知れば、好き嫌いの基準でなく、日本の伝統、歴史を鑑みての発言になっていなければならないと思います。
その国に帰属する人々の思いをまとめる役割をし、国民にその自覚を促すためにあるのです。
国家があってこそ、暮らしの安全が保たれ、かつ安寧が得られていることに思いを馳せ、感謝の意を感じるシンボルとして大事な役割があるのです。
国への思いがなければ、国家も成り立ちません。だから象徴としてどの国も国旗を持つのです。
そのような根本的事柄について、首相に確認しなければならないことが異常です。
菅首相自身が反対した理由を国民に述べずにいるのも卑怯な感じがします。

言えない理由でもあるのかと勘繰りたくなります。

 

首相は私と同年です。
占領政策によって変わった戦後の日本で育ち、同じような教育を受けていると思うのですが。
まだ、私の場合小学校では国旗掲揚をしていたし、国歌「君が代」を必ず式典において斉唱していたと思います。
唱歌 
『白地に赤く、
日の丸染めて、
ああ、美しや、日本の旗は。』も歌っていたはずです。

 

それで、国歌を変えた方がいいと言う考えを持つに至った理由は何なんでしょう。
ただ、私の大学生時代の記憶では、労働組合のスト(特に国鉄の印象があります)の他、学生運動が盛んで、共産主義、社会主義思想に傾倒した学生(私の知る限り地方出身者が多かった)が、デモを盛んに行い、機動隊と争いをやっていた時代です。昭和43年頃からは、学園紛争を起こし、校舎を占拠し授業の妨害をするようにもなりました。彼等、演説のはじめは必ず、「ワレワレハ~―――」と絶叫しながら「資本主義社会における大企業は搾取している~~」などと喚いていました。
その時の様子はある一種のトランス状態になり、気が狂っているのかと思うくらいでした。
そんな時代背景もあり、若い頃、反体制的な思想を持つに至ったのでは。

わが母校でも、左翼思想に傾倒した学生が、ゲバ棒をもって暴れ回り、授業妨害を目的に校舎を占拠しました。どんな理由があるにしろ、自分達の主義、主張を通すため、校舎を占拠した暴挙に対して、憤慨する学生もでて、左翼暴力学生を学園から追放しようと運動が起こり、彼等を排除した事があります。

<追記> やはり、そうでした。7月2日昼の番組で、昭和43年の東大学園紛争に菅首相が加わっていたと報じていました。この時安田講堂の攻防は、学生が投じる火炎瓶、機動隊が打つ催涙弾が飛び交う凄まじいものでした。私、友人とともに紛争が終わった直後、構内に立ち入り現場を見ましたが、臭いがまだ残っていたと記憶しています。


しかし、いつ頃から教育現場で国旗掲揚、国歌斉唱する、しないでもめるようになったのでしょう。
私の経験では私立高校へ行きましたがやっていたはずですから、昭和39年以降からだと思いますが。
アメリカ合衆国は多民族が集り寄り合っているお国、どの国より「国旗」の必要性、大切さを感じているのでは。

旗がシンボルとしての意義を如実に示す例を、映画「七人の侍」の中で見ました。いよいよ野武士との戦いが始まろうとした時、菊千代なる侍(三船敏郎扮する)が茅葺屋根にさした旗のクローズアップされるシーンでした。印象に残りました。

※参考文献 「学校の先生が国を滅ぶす」 著者 一止羊大 発行者 産経新聞出版

book001s.JPG

名古屋場所 大相撲中継無し   2010:07:07:11:58:34

| コメント(0) | トラックバック(0)

NHKに視聴者から12000程の抗議があり、中継を反対しているとの理由から中止となりました。

日本の人口が1億以上あり、比率から言ってその数字が示す事が「真」なのかわかりませんが、抗議があったから止めるようです。

私から言えば、最近は相撲としての醍醐味が薄れ、中継がなくても左程落胆はしませんが、

テレビ報道によれば、お年寄りにファンが多く、その方々が残念がっている様子を伝えていました。

テレビ報道で、大相撲が100年に1度の危機を迎えている。改革へ向け真剣に取り組むようにと要請が、NHK会長より発せられていた。

相撲協会の理事は改革に向け、どんな取組をするのか興味を持って注目したいと思います。

 

しかし、昔に比べ相撲自体が大味になり、手に汗握る取組が減っています。

はたきこみ、押出し、寄りきりなど決まり手の数も限られています。

特に感じるのが「水入り」の取組が全くなくなりました。

 

昭和30年代初め、水入り相撲で印象に残っているのが、栃錦です。対戦相手は覚えていませんが、大銀杏を結っている紐がきれ髷がとれてしまうほどの熱戦です。

小兵の栃錦、長身の大関大内山を首投げで倒すなど、大相撲の醍醐味が取り組み随所に

出ていました。初代若乃花の呼び戻し(仏壇返し)、栃錦の二枚蹴り、琴ヶ浜の内掛け、

北葉山の打っ棄り、明歩谷の吊りだし、鶴ケ嶺のもろ差し、柏戸の寄り、電車道と呼び

一気に寄り倒す出足、弾丸房錦のぶちかまし、潜航艇岩風、対戦相手の股倉に頭がつく程低く入る、などなど特徴のある力士が大勢いました。

 

なぜ、個性ある力士が出なくなったのか、このあたりにこれからの大相撲、今後のあり方のヒントがあるのではないでしょうか。

大味な相撲になってしまったのは、あまりにも力士が大型化してしまった事ではないかと考えます。

私が小さい頃、巨漢力士といえば「大起(おおだち)」、体重40貫以上は有ったのではないでしょうか。

記憶では体重があって膝を痛め、強い力士という印象はありませんでした。

 

それに怪我をして休場する力士が目立ちます。大型化が影響しているように思えます。

相撲の基本、「押し」、これが体重を増やす理由になり、太らせる一因でしょうが、大きくなりすぎ、体重も200キロを超えるほどになりました。

これが逆に相撲の醍醐味をなくしている原因と思います。

相撲協会は、見直す必要があるのでは。

昔の解説者、玉の海、神風さんなどが今の相撲を見てどのように解説するか知りたくなります。

記憶では、叩かれて簡単に落ちれば稽古不足と指摘するのでは。

以前、横綱曙が格下の力士に上手投げを食らい、裏返しにされて倒れこみました。

私、これを見て昔の解説者だったら、引退間じかと解説するのではと思ったくらいです。

決まり手で、叩き込み、突き落としなどが多くなっている点も気がかりです。

稽古の質が落ちているのだと思います。相撲には安定した足腰が要求され、如何にバランスよく動けるかが望まれるのです。

ただ、ブクブク太っているだけではダメなのです。

 

手に汗握る相撲を見せるには、稽古の質、稽古の量ともに上げて身体を鍛え上げることが先ずは必要と思います。

ここの点が、今は一番難しいことではないでしょうか。

日本人自体の変質・変化があるからです。

強くなるために厳しい稽古を強いるとシゴキ、イジメとマスコミがたたきます。

一例を上げれば、シゴキ事件の影響でしょうか竹刀で叩くことすら控えるようになってしまいました。

ただ言えることは、魅せる相撲に欠かせないのは鍛錬、稽古なのです。

この点をどう取り組むかは親方衆にかかっています。

 

土俵の鬼と呼ばれた初代若乃花は、お金を稼ぐ一心で強くなろうとして稽古に励み、

ファンに喜ばれる力士となりました。

 初代若乃花、お相撲さんは裸を見せる商売だから、肌に良い日本酒を飲むべきと注意していた事思い出します。

当時、北の湖が活躍しだした頃、飲む酒がウィスキーだったことを受けての発言だったと記憶してます。膝、肘などにサポーターやテーピングすることも否定していたと思います。

美を意識しての事です。

そういう意味では本当のプロといわれる力士です。

 

 

先輩達がやってきた稽古をもう一度見直すことです。

バレーボールで「鬼の大松」と呼ばれた監督の練習風景を見せるのもよいのでは。

東京オリンピック金メダル、「東洋の魔女」と呼ばれるまでに至ったバレーチームを造り上げた練習風景を記録した映画を見ていますがそれは凄まじいものでした。

アマチュアの世界でこれだけの練習、今の相撲取りに見せるべきです。

相撲中継されなくても、相撲の醍醐味が復活できれば、相撲ファンは国技館へ見に行きます。

そのためにも本当の意味での猛稽古は不可欠です。

相撲協会の幹部、理事さん達、真剣に稽古方法について現状でいいのか見直してください。

 

7月場所、開催に!   2010:07:05:20:36:00

| コメント(0) | トラックバック(0)

大嶽親方、解雇退職金なし、琴光喜、解雇退職金支給他18名の力士謹慎処分で一応の決着をつけての開催に。
武蔵川理事長を筆頭に、大勢の力士が雁首そろえての謝罪会見報道をみて、ある種情けない気分になりました。
そこまでして何があるのか疑問を感じたのです。
彼等一人前の大人です。分別があって行ったことなのです。
賭け事が、どこまでが娯楽で、賭博になるかは金額による判断があるのでしょうが、
横綱白鵬など、花札をやったことを詫びているのです。
賭け事をしたからといって、そこまでする必要があるのか、私には理解できません。
賭け事はある程度娯楽として認められているはずです。それをしたからといって詫びる必要があると言うならば、賭けゴルフ、賭け花札、賭けマージャン、今では認知されている景品交換??パチンコだって博打行為です。それらをしている人達全員が世間に詫びなければなりません。
パチンコ、射幸心を煽るものと言って、よくないという見識者がいたくらいです。

いつの頃から、それも言わなくなってしまいました。

<追記>テレビ番組で法律専門家が言ってたこと、金をかければ博打で違法行為と。


解雇された2名、常習性、賭け金が多額、反社会集団とのかかわりなどの疑惑が理由でしょう。
だから、その処分となりました。

 

しかし、他は娯楽、遊び程度としてものと思われます。相撲界でなくても一般社会でも容認されていた行為と思うのですが、何故、相撲界で起こした問題だと取り上げマスコミは追及をするのでしょうか。
追求する側の報道関係者は行っていないのですか?
私、子供の頃、職業野球、芸能界、相撲界などは特殊な社会で、ある程度一般常識的な判断から逸脱しても世間は容認していたし、博打、賭博ぐらいでは騒ぎませんでした。私が子供の頃、芸人のマネ事をすれば、大人に芸人みたいな事をするんじゃないと注意されたくらいです。
ある意味で、棲み分けしていたのでしょう。

野球界で言えば、昔遠征移動の列車の中で暇つぶしに賭けマージャンは当たり前、大酒は食らう、賭け事は盛んにやっていたと聞いています。
当時、その世界で身近にいて、記者などをやっていたい人に聞けば判るはずです。
落語界で言うならば、「芸のためなら女房も泣かす、・・・・」とある落語家の生き様を歌にするくらい、ある意味で常識はずれを容認していました。

 

そのような特殊な世界にいる人たちに、品行方正についてとやかく言うこと自体ナンセンスだと思います。舞台裏はどうでもいいのです。その道のプロとして一流のもの(相撲で言えば技、芸能で言えば演技、落語で言えば喋りなど)を見せられるか、見せられないかが一番の評価対象です。
「清濁併せ飲む」という言葉があります。
そこまで、キリキリと追い詰めて何になると考えているのでしょうか。
いつの間にか、息苦しい世の中になっています。

 

貴乃花親方が、琴光喜の処分に関して抗議の意味で退職願を出したと報道されていました。
どんな動機か詳細はわかりません。しかし私から見れば、仲間を何とかしたいと情に駆られてと想像します。大嶽親方に関しては何も言っていないことからも判断して、琴光喜に対する処分は厳しいと感じたのでしょう。
私はそのように思います。

 

これではお相撲さんが可哀想です。
一般社会より、特殊な技術を獲得するため、厳しい環境下(肉体を極限まで追い込んで鍛錬する)で日々の暮らしをするのです。
息抜きしたくらいで、責められるなら、ストレスが溜まってしょうがないでしょうね。
同情します。
相撲界の幹部連中、内心では今のお相撲さんに同情しているのでは。
「俺等、若い頃より相撲社会は住みにくくなった」と。

 

品行方正と追求するとしたら、教育界の方ではないでしょうか。
猥褻教師花盛り、そんな教師が出た学校が教職員一同、その地域の教育委員会の長、校長始め雁首そろえて謝罪会見したことがありますか。
職業上の性質から言って、マスコミが追求すべきは、そちらが筋でしょう。
何か、順序を間違えています。
私に言わせれば、改革が必要なのはマスコミ側にあるのではないでしょうか。

 

改革と相撲協会に期待するとすれば、法的な保護をやめ、純然たる民間組織にもどし、
相撲興行組織として再出発させればいいのです。
今のままの体制で充分に改革できます。
競争社会に身をおいて、相撲を見せることを経験させればわかります。
今まで、先達たちの築いた組織に安穏としていたか。
それが相撲協会の新たなる再出発と成るはずです。
何とかして、伝統ある相撲を今後も守れるよう、相撲関係者に期待します。

何度もブログで触れるのも、物心がついた頃から相撲を観ていた(ただしテレビ観戦)からでしょうか。

おおらかだった相撲社会が懐かしいです。

例えば、角界のモダンボーイといわれた大関若羽黒、行動が当時しては相撲さんとしては変わっていた事、今は解説をしている、プレーボーイと呼ばれたモテモテ男の横綱北の富士、今風に言えばイケメンの初代貴乃花など水商売の世界ではモテモテで浮名を流すなど。

リンク集を追加しました。   2010:07:05:13:58:23

| コメント(0) | トラックバック(0)

当社、ホームページ「社長 つねちゃんブログ」を紹介していただいているサイトをリンクしました。

フリーアナウンサーを仕事にし、スポーツ実況中継などを行い、日々現場で起きたこと、感じたことなどブログを通じて発信しています。他に、イベント、結婚式の司会なども行い幅広く活動しています。

30代半ばで、脱サラして今日に至っています。

彼との出会いは30数年前、私が合気道を指導していた道場に、高校生の時に入門した事です。

なかなかの熱血漢、「志」をもって驀進中です。

応援宜しくお願いします。

大相撲と賭博問題(続)   2010:07:02:16:13:41

| コメント(0) | トラックバック(0)

 両国国技館で臨時理事会を開き、特別調査委員会(座長 伊藤滋早稲田大学特命教授)の勧告を受け入れ7月11日からの名古屋場所を開催と決まりました。
中止になるか注目されていたので、名古屋場所に関わる事業関連の会社あるいは関係者方々は一安心という所でしょうか。
朝、テレビを見ていましたら、大嶽親方が鼻水、涙を流しながら今回の経緯はすべて私が悪いので、他の人を許してやって下さいと訴えていました。
「彼等の生活がかかっていますからと・・・・」。
しかし、本当に「後悔先に立たず」です。
ここに来て本当に事の重大さが分かったのでしょう。

 

琴光喜が大嶽親方の借金を肩代わりしていたとは、お人よしの面もあります。
しかし、無碍に断れなかった彼の立場には同情しますが、結果として琴光喜、後援者、ファンの期待を裏切ることになってしまいました。
過去に例のない、除名が下される可能性があり、そうなれば彼が大相撲の歴史に汚点を残す結果となってしまいます。
せめて、私の思いとすれば「解雇」にしてくれないかと願うばかりです。
処分を厳しくすれば、それでよいというわけにはいかない面を感じるからです。
テレビで「お上さんのアンケート」と題し、いろいろと情報を集め、内情を示す報道をされていました。
それによれば、賭博などある程度黙認されていた様子が窺えます。

 

それが事実とすれば、理事、親方などは知っていて知らん振りしていたのではと、勘繰られなくもないのです。
博打に賭ける金額などが問題にされるようですが、琴光喜は大嶽親方よりまだ常識範囲と見てもいいのでは。但し、私らよりは相当高額ですが。
「やっていない」と嘘の報告をした点を委員会は問題視していますが、そこには彼等なりに保身だけでなく、ある配慮があっての事のようにも思えます。
武士の情け、「除名」はやめて下さいといいたいです。

 

それより、まずはリーダーたる理事、他面々が猛省すべき案件です。
どう見ても、相撲協会という組織の運用に関してそれなりの見識で役職を務めているとは現状から見えてきません。ここ数年、改革といいながらこの結果を招いているのですから、
怠慢とも思えます。
ある意味、財団法人という立場に甘え、何もしていないように思えます、
会社であれば倒産という事態になってもおかしくないといえるのでは。

 

大嶽親方、大横綱大鵬の三女と結婚し、部屋を継承し、かつ4人の男の子に恵まれ、その子供がお爺さんである大鵬を超える関取になる夢を持つまでに育ち、相撲一家としては申し分のない家庭を築いていたのに、非常に残念です。
お上さんである三女の娘が、ここまでの家庭にしていた「内助の功」が水の泡です。
さぞかし無念なことでしょう。
男として、女を泣かすようなことをして、その罪は大きいです。
環境に甘えていたのでしょうか。
立場を考えれば、それなりの自覚が芽生えてくるのが当然と事だと思うのですが、
それすら考えもせず、博打にのめり込んだのでしょう。
昔から、賭博、博打にうつつを抜かす者、怠け者は男としてはダメだといわれていましたが、そのとおりの結果ですね。
自分の不始末の結果、離婚もしなければなりません。
好き同士で惚れ合って一緒に持った所帯なのに。

 

テレビでは、見識者、評論家、一タレントが組織の改革が必要と声高にいい、相撲部屋制度も改めて、無くすような言い方をしていましたが、私は反対です。
先ず、言っておきたいこと、大相撲は「伝統芸能、文化」という側面が大いにあります。
それも、江戸時代から連綿と続いているのです。
「髷を結い、花道があれば芸能」という言葉、
過去に何度かブログで触れていますが、池田弥三郎氏の言葉に賛同しているからです。

 

大相撲には、伝統に裏打ちされた様式美、エンターテイメント、文化の伝承(神道に根ざした儀式)などがあり、単にスポーツという側面で語られないのです。
伝統芸能で言えば、歌舞伎、能など連綿と芸を伝承されているものもあります。
それが守られているのは、代々その家系に属する者が大いなる自覚と覚悟を持って臨んでいるからに他なりません。
今まで築いてきた仕組みが問題でなく、運用に問題が出てきているのではないかと思います。
その背景に、日本人自体の変質(見方、考え方)も見逃せません。
改革の手始めは、大相撲の伝統に携わるものとして「どうあるべきか」、男社会でありますが、部屋の親方、裏方のお上さんをも含め、先ずは一門同士で話し合いを持つべきと考えます。
「不易流行」なる言葉がありますが、変えなければいけないもの、変えてはいけないものを見極めつつ、改革案を構築し大相撲の伝統を継承してもらいたいものです。


子供の頃より、半世紀以上相撲を見てきた一ファンとしての願いです。

フランスの大和撫子   2010:07:01:08:32:48

| コメント(0) | トラックバック(0)

ある朝、朝刊を読んでいると大見出しに「戦時日本の教えがすべて、怠けることは敵。」との記述が目に止まりました。
日本語で半生記、フランスの母さん ルイズ・ルピカールさんと記事は紹介し、
「戦時の教えがすべて」との記述にとても関心が行き、読む気になりました。
彼女が本を出版した経緯を書いており、フランス人を父親に、日本人の母親を持つフランス人女性が1937年から48年まで(9歳から20歳)日本で過ごした期間の経験を綴った本と分かりました。
記事を読み終えて、記事の主旨は自らの人生で幾多の困難を乗り越えられたのは、「修身の教えだった」と言う事です。
軍国日本と言われた時代に、多感な少女時代から成人するまでの時期、学校教育で修身を学んだのです。
日本名を正子といい、外国人と言う事で収容所にも入ったそうです。
「自分は軍国少女と信じて疑わず、敵が上陸したら手榴弾で自決しようと友人と誓い合っていました。」と記事に書いてありました。
純粋な思いが伝わります。

 

修身といっても、もう分からない人がほとんどだと思いますので説明をします。
「修身とは」というブログでも書いていますが、簡単に内容を紹介します。
明治37年から敗戦の年まで、授業として行われ、人として守るべき徳を教えていました。
週のはじめ月曜の1時限にあてていたそうです。
授業内容は下記の通りです。注※1
1 素直な心を持つ。(正直・誠実・良心)
2 自分を慎む。(謙遜・質素・倹約・寛容・報恩・整理整頓・健康)
3 礼儀を正しくする。
4 自分の行いを律する。(自己規律)
5 夢を持つ。(志を立てる・進取の精神)
6 一生懸命働く。(勉強・学問・仕事・勤勉・努力)
7 つらさを乗り越える。(忍耐・辛抱・克己)
8 困難に立ち向かう。(勇気)
9 やるべき事を成し遂げる。(責任)
10合理的精神を持つ。
11ルールを守る。
12家族を尊ぶ。(夫婦・親子・兄弟・祖先)
13友達を大切にする。(友情)
14思いやりの心を持つ。(同情・博愛)
15力合わせて。(協力)
16みんなのために。(公益)
17日本人として。
18美しく生きる。(まとめ)

それぞれの徳目に事例を挙げ見習うようにと教えていました。
一例、
「夢を持つ」では、野口英世が医者になるまでの話の経緯を書き、志を立てる大切さを説いている。
「力合わせて」では、「協同」という言葉をあて、毛利元就の「三本の矢」があります。
今で言う、事例研究、ケーススタディという教え方とも言えるでしょう。
分かりやすく行動規範を教えられる内容です。

 

彼女、戦後サイゴンに戻って、結婚しコルシカ島に行き、そこでの結婚生活から苦労、困難と向き合いながらの人生だったと書いてありました。
離婚、再婚、夫の暴力、そして離婚、そんな事も修身の教えが支えてくれたと書かれています。
記事から引用し記述します。
「・・・しかし夫の家庭内暴力もあって離婚しました。6人の子供を抱えていましたが、私は働くのが好きで、子供にも『人生は泥棒と売春以外、何でもできるのよ』と話してきました。」と記事にあります。
なんて逞しい女性なのかと!
確かに大和撫子にふさわしい方です。
記事はインタビュー形式で書かれ、記者の質問に答える形で進みます。
―――幾多の大変な時を乗り越えられたのはなぜですかとの問いに、
「戦争中、日本で学んだことが私のすべての基礎になっています。・・・・人事を尽くして天命を待つ、という言葉が私の中にあります。また苦しい時、助けてくれたのは修身です。」

 

コルシカ島に住んでいた時代、日本製のオートバイを見て詠んだ短歌、「ハンドルに大和の国を示す旗、よくここまでと強く握らん」
日本を思う心が表れています。
次の記事、一日本人として情けなく感じる事柄です。
「以前、知覧特攻平和会館を訪れた時、高校生がチューインガムをかみながら説明を聞いているのを見てショックを受けました。その時、『車座のガム食む少年らは若鷲の勇士と同じ二十歳(はたち)のうなじ』・・・」
外国の方は、どなたでも国に命を捧げ戦った人等に敬意を払う心を持ち合わせています。
当の日本人が、このザマではと!
恥ずかしさ、悲しさを感じる場面です。
彼女更に、続けて日本の大学教授が授業で「真珠湾はどこにある」と聞いたら「三重県」と、笑い話のような答えが返ってきたと聞きましたと語っていました。
日本の学校は日本の歴史のいい面、悪い面きちんと教えるべきですと明言しています。
現代史では悪い面ばっかりを教えているので、その証左として少年が「若鷲の勇士」に対し敬意を表さないことにも繋がるのでしょう。
今はお孫さんが15人。ひ孫が5人。振返って幸せとは何だと思われますかの問いに、
足るを知る、ということです。つまりガツガツしない。母が良く「人間にとっての敵は怠けることとお金だよ」と言っていたそうです。
彼女のお母さん、勤労を尊び、我欲を戒める言葉から察して、明治生まれの方でしょう。
戦後生まれの私にとって、「修身」という授業があったとは母から良く聞かされていました。
私の記憶では、「修身」は軍国主義を扇動する記述があるのでいけない、「記紀」古事記 日本書紀を教えなくなったのは、歴史的根拠がない史実は教えてはいけない。占領政策のせいでと聞かされていました。

 

なぜ戦後、修身を教えなくなったか、次に紹介する文章に表れています。
女流柔道家、三宅綱子女史の伝記に書かれていたことです。注※2
「ミス三宅。私たち駐留軍は日本をコントロールする使命を持っているのです。それは『三つのS』で十年後二十年後日本を骨抜きにするという使命です。」・・・・・中略・・・
そっと耳打ちするように三宅に三つのSを教えてくれたのは、当時「ワッツ」と言う名で呼ばれていた連合軍女性部隊の隊長だった。
「その人はドイツ系アメリカ人でした。当時私は彼女の柔道を個人指導していたんです。
・・・・・・中略・・・スクール、スクリーン、セックス。・・・特に連合軍アメリカは、その三つを巧妙に使って戦後の日本をコントロールしようとしていることでした。・・・」
この記述を読んで、子供の頃、ある大人からマッカーサー(占領軍総司令官)は「日本人の勇気と団結心を恐れたから、日本を弱くしようと占領政策をした」と聞いていた事と同じと思ったのです。
最近読んだ本にもこれに相当する記述を目にしました。
「・・・・・三教科停止命令が出されたためである。三教科とは『歴史』、『地理』、『道徳』だが、これらを教えないようにすることで、日本人の愛国心をそぎ取ると言うことがマッカーサーの意図であった。・・・・」注※3
その結果が今の日本に明らかに現れています。
植民地支配の原則を使っての占領政策、歴史を見れば支配する側の常套手段です。

※ 奄美諸島も昔、薩摩藩に同様な植民地支配を受けました。

ブログ「奄美民謡について」参照
彼女、生きていく上で大切なものは何か、彼女の母親、修身から「心」を学んだのでしょう。

参考文献 ※2「日本人」はどこにいる――異文化に生きる武士道のこころ――
       著者 神山典士 出版 株式会社メディアファクトリー
      ※3「資本主義はなぜ自壊したのか」 著者 中谷巌 出版 集英社
      ※1「精選 尋常小学修身書」 監修 八木秀次 出版 小学館文庫

book002s.JPG

カテゴリ

アイテム

  • クリックで拡大表示
  • クリックで拡大表示
  • クリックで拡大表示
  • クリックで拡大表示
  • クリックで拡大表示
  • クリックで拡大表示
  • クリックで拡大表示
  • クリックで拡大表示
  • クリックで拡大表示
  • クリックで拡大表示

最近のコメント

ATOM最新記事のフィード