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2010年9月アーカイブ

模様塗装 ハンマートーン   2010:09:14:09:00:00

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ハンマートーン塗装を施した製品です。

前回同様、塗装実績で紹介しましたが、改めて拡大して掲載しました。

ハンマーネット塗装と同様、シリコンオイルを使って模様を出します。

グレー色なので、模様が写真では分かりずらいかもしれませんが、感じは掴めると思います。

ハンマートーンe.jpg

塗料メーカーによってはハンマーネットと、同じものとして扱っていますが、慣用的にこの呼称を使用しています。

塗装された製品です。

ハンマートーン塗装 製品e.jpg 

 

谷啓が逝く   2010:09:13:13:06:01

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朝、テレビを観ていたら谷啓が死んだと放送していたので、「えっ」と思いつつ驚きました。
体調が悪いなどと、報道されていませんでしたから。
78歳でした。
放送で、自宅階段で転び、頭、顔強打して脳挫傷が死因と聞き、年寄りにとって「転ぶ」ことの怖さを再認識しました。
昼のニュースで、多少脚が不自由になっていたことがわかりました。
22年ほど前でしたが、「50過ぎたら転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」と体調管理に関して、年上の方から教えて頂いた格言を思い出しました。
この年になると、若いころと違い、反応が鈍くなり咄嗟の対応ができにくくなってきます。
脚の衰えもあり、躓いて手がでず顔面を保護できなかったのでしょう。
今朝(9/13)テレビ番組で自宅での事故が多いことを報道していました。
若い時には想像もできないことです。

合気道の受け身の稽古は、頭を守ることを第一義にしています。

脳のタメージがいかに怖いか知らされました。

 

谷啓、芸名はアメリカの喜劇俳優ダニーケイをもじってつけたものです。
クレージーキャツのメンバーで、トロンボーン奏者としても卓越していると聞いていました。
彼らの「大人の漫画」という番組のコントがとても面白く、それ以来ファンになりました。
フジテレビ、昭和34年放送開始だそうです。
ザ・ピーナッツの歌いだしで始まる「シャボン玉ホリディー」も人気番組で、毎週のように見ていました。

ハナ肇とクレージーキャッツ、コミックバンドとしても面白く、植木等が歌った「スーダラ節」が大ヒット、それ以降、植木は無責任男として映画にも出演し人気者に。
ハナ肇をリーダーとして植木等、谷啓、犬塚弘、桜井センリ、安田伸、石橋エータロー、それぞれが個性豊かで、グループとしてバランスがとれていましたし、楽器をあつかわせればプロのキャリヤをもっていて、コミックバンド、当時としてはとてもユニークに感じたグループでした。

 

それ以前は、コミックバンドとは一味違いますが、楽器、ギターなどを使ったグループで漫談を行っていたボーイズものが流行っていました。
記憶にあるのが、「川田晴久とダイナブラザース」というグループです。
必ず始まりに、「地球の上に朝が来る、その裏側は夜だろう」とのフレーズでした。
戦後まもなくの頃です。
時代が落ち着いてきた昭和30年代半ば、そのような時代背景で、出てきたクレージーキャッツは、スマートな印象を受けたものです。
谷啓のギャグ「ガチョン~~」植木等は「お呼びでない? こりゃまた失礼しました」ハナ肇は「あっと驚くタメゴロー」が有名です。
それぞれが映画出演して演技にも才能を発揮しています。
クレージーキャッツの影響でその後、ザ・ドリフターズが出現し子供らに絶大な人気を博します。

 

それにしても、メンバーひとりひとりに才能が有り、何をやっても芸達者そんな人たちが一つのグループに集まることも珍しい事だと思います。
安田伸は芸大を出ています。
石橋エータローは後に、料理研究家に。
犬塚も俳優になり渋い演技で大活躍。
そんな時代を経て、クレージーキャッツのメンバーがまた一人減り、振り返れば50数年の年月が去っています。
私が知る芸能人、有名人が亡くなっていくのを見ていると自分も年をとったなあーと思わされます。
谷啓の活躍、最近では映画「釣りバカ日誌」、とぼけた感じの演技をして存在感がありました。
犬塚弘がインタビューに答え「身体をもぎ取られる思いがする」と語っていましたが、
残った者としての悲痛さが伝わってきます。
谷啓と付き合いがあった人々のコメントが、「シャイで 穏やかで、控えめな人」という言葉が目立ちます。
芸能人に向かない性格のようにも思えますが。

人気全盛の頃、日本も高度成長期、映画、テレビに大活躍のグループでした。
谷啓の戒名 
玄妙院殿谷啓日雄大居士位(げんみょういんでんこくけいにちゆうだいこじい)

合掌

T氏の時事放談   2010:09:10:09:50:28

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円高などについて、見解をお示しいただいたT氏より、
政治における現状についてメールにて見解を送ってきました。
読むと、政治をつかさどる政治家が基本をわすれて国家運営がなされている
事が如実にわかります。

私が学生時代、確か、TBSで時事放談なる番組を放送していました。
出演者は、細川隆元、小汀利得と記憶してます。
政治などについて、批評する内容でした。
両者の会話のやり取りが面白く見ていた番組です。
T氏の記述もそれに似て、面白く拝読しています。
昭和4年生まれで、ご高齢ですが、
パソコン操作も覚え、このようにメールして来るくらいで、
進取な気性が見て取れます。
塗装の設備会社の社長をやってこられて、
塗装工場の実情を知っており、私への気遣いの文面は
本当にうれしく思います。

以下がT氏の時事放談です。
メール原文通り載せました。

題は「菅首相の発言について」


上野社長様。
台風一過今日は少し涼しく為りましたが、
現場の工場内はまだ暑くご苦労されていると拝察
いたします。
 
本題に入りますが、菅の最近の発言について、
非常に疑問を感じています。
過日若し私が代表になった場合には小沢さんに
入閣頂いて十分に持ち味を発揮いただければ大変
ありがたい発言しています。
自分の60数%の支持は菅、小沢の二人だけなので、
小沢は嫌なので其れよりは菅と言う、
消極的な支持だと言う事が判っていれば間違っても、
小沢の入閣などと発言は絶対ない筈、
流石に発言の趣旨は違うと、周りの閣僚が懸命に
打ち消しに奔走していましたが、
自分に都合の良い時は民意だからと言い、
国民の70%拒否している小沢入閣を言いだす事が、
民意の無視している事が判らないとは呆れ果てました。
 
尖閣列島の件ですが。
中国側が直ちに尖閣列島は中国の領土であり、
船長の逮捕は不当で直ちに釈放を要求すると言う
コメントはっしましたが、
新聞記者が此れに対して総理の考え方はと質問
しましたが、それに対して慌てたように、
法律、法律によると発言、
本人には日本の自尊と領土問題だと言う事が、
自覚がない、此れが次ぎの総理になるかもしれない
とはブラックユーモアを遥かにこえています。
 
尖閣列島の帰属について質問が出たときの菅の発言は、当事者どうしで良く話し合ってくれと発言、
従来如何なる場合に於いても尖閣列島は、
日本の固有の領土であると発言しているのに、
中国が自国の領土だと横槍を入れて来たのに
話し合いをしろとは中国にも権利が有ると言う
のと同意義だと言う事だとすら判らないとは呆れる。
憲法上から考えても。
政治家の一番のやるべき義務は。
1、国土の確保。2、国民の生命の安全。財産の確保
此れすらも判らない民主党を選んだ国民も責任を感じるべきだと思います。
 
流石に岡田外相が尖閣は領土問題ではなく、
中国と議論の余地はない、又首相の発言が不適切
との認識し、誤解を解く為により正確な表現が、
何処かでの段階でなされる軌道修正が必要と
強調された。中にはまとも人いる様です。
 
今回の代表戦は結果的に日本の総理を選ぶ選挙
だと言うのにサポターの中に韓国人も認めている、
菅も、小沢も選挙に勝てばよいと言うだけで国の
有り方など頭の片隅のもない二人だと思います。
 
上野さんも夏の異常高温と経営上悩みとの疲れが
秋の涼しい時期ややとすれば出る場合が多いので
十分気を付けてください。
 
       9日 19:30分 S.T

これを読み、日本国民を守る気があるのかと疑いたくなります。
前にも述べましたが、総理、学生時代は左翼思想にかぶれ、学園紛争をに身を投じています。
そのこと自体、それはそれで結構なのですが、学生時代のままの考えでこれまで
政治活動をしてきた有様が、領土に関してそのような発言になったのでしょう。

ブログ「奇異に感じた言」に書きましたが、「発言」からしっかりとした国家観がないことが証明されました。国歌、国旗を好きだ嫌いだと議論したことも同等です。
そんな人が国のリーダーとなる事、日本がおかしくなってきています。

「本人には日本の自尊と領土問題だと言う事が、
自覚がない、此れが次ぎの総理になるかもしれない
とはブラックユーモアを遥かにこえています。」

"ブラックユーモアを遥かにこえています"の記述に、T氏の深刻な思いが伝ってきます。


文末の気遣いの記述、経営者として第一線で活躍されたご経験からの
配慮です。
17歳年上、今はこのようにメールなどでおつきあいしていると、
おやじのようにも思えてきました。
会社経営をしている私にとって、心強い存在です。
T氏との出会いは、ブログ「久しぶりの再会」で触れています。

 

8月中旬の奄美民謡の稽古日、教室へ着き準備をしていると、稽古仲間の一人から先生がお呼びですと声をかけられました。
何の用事かと思いつつ、先生に声を掛けたら、差し出されたのが詩集でした。
本題は「詩人の引力」、この詩集を出した方、先生のお知り合いですが、

私も多少のご縁もあり「是非、買ってくださいと」言われ、一冊買い求めました。
その後で、ある事を思い出し、もう一冊買いますと告げ、二冊買うこととなりました。
「ある事」とは叔母この猛暑で体調を崩したと聞いていたので、この本を贈って元気付けようと。
実は著者は私の叔母の同級生であり気分転換になるのではと考えたのです。
私、この方とのご縁は3、4年ほど前の奄美民謡教室発表会後の懇親会で知りあったのです。
当然、その時まで同級生であることは知りません。
切っ掛けは、「あなたの出身は、どちら」と聞かれたことから。
「私の両親が、喜界島出身です。私はこちらで生まれましたが」
その方、同様喜界島出身、私の姓から「○○○さんのご親戚」と聞かれ、

「そうです、甥です。」と答え、その場で叔母さんに電話をし、こういう方と知り合いましたと告げ、電話を代わりました。
電話の会話の様子から、お互いが楽しそうな雰囲気伝わってきます。
年はとっても、同級生はいつまでも懐かしく、特別の関係なのだなと様子から感じ取れました。
2人とも、尋常小学校高等科で同級、叔母は郷里喜界島で教員として勤め

、同じ職場でその方と再会し1年ほど共に勤務したとの事。
そんな関係ですから、懐かしさもひとしおだったのでしょう。

 

電話が済んでから、その方、私にこう言いました。「私はあなたの叔母さんに思いを寄せていたんです。」、

齢80の方の告白を聞いた私、ほのぼのとした思いが湧き、

後で叔母からは、「その時、久しぶりにときめいた」と告げられた事がありました。
 

冒頭お話しましたように、そんな経験があったことが詩集を買うように薦められたのです。
叔母に本を送る準備を済ませていたのですが、発送が遅れていました。
その状況で、知らぬ間に民謡の先生が気を使って直接著者に電話をして、

署名入りで詩集を送ってくださいと頼んでいたのです。叔母が体調を崩していることも言葉に添えて。
 

中旬過ぎのある夜、叔母から電話がありました。
著者から手紙を添え、謹呈と記して詩集を送ってきたというのです。
手紙には、叔母を気遣った文言があり、どうして知っているのか、どういう理由か知りたかったのでしょう。
民謡の先生の気遣いと経緯を話して分かってもらえました。
著者から手紙が届いたその日に電話があって、長話をしたと言っていました。
同級生としていろいろ、尽きない話題があるのでしょう。
 

手紙には昨年、発表会で私が歌った「行きゅんにゃ加那節」がとても良かったと書かれていますよと教えられ、ちょっといい気分でした。
叔母にとっては喜界島に触れた詩「島の馬たちの鎮魂歌」を読むと、情景が浮かぶそうです。
小学校の校庭で、馬の「せり」が行われ、その仔馬は軍馬として徴用され本土に渡ります。
その頃の日本、中国大陸で戦っています。
軍歌「麦と兵隊」、徐州、徐州と人馬は進む、徐州いよいかすみよいか、洒落た文句に振りかえりゃ・・・・。
このようにして軍馬は集められていたのですね。
 

当時、馬を飼い育て、売れるといいお金になったそうです。
家族同様に育てた仔馬。
伝馬船に乗せ沖がかりの親船まで運ぶとき、桟橋での別れのシーンは家族同様悲しいもので、その情景は今でも覚えていると言っていました

叔母も、同様短歌の詩集「浜木綿」を出しています。
私、叔母さんにお礼にその本を贈ればといったのですが、手持ちがないとの事。
思い出したように、あなたのお父さんに後からもう一冊送ったことがあるというのです。
家に2冊あるなら、1冊送り返すからそれを贈呈すればいいと話しました。
叔母、電話でその内、著者が書いた手紙を見せたいと言って電話を終えました。
 

その数日後、叔母から手紙が届き、開いてみると今回の出来事に対してのお礼が述べてありました。

歌集「浜木綿」が届いたこと。

それと、私の島唄に触れて、「島ぐらしの体験がない恒ちゃんがそれを伝える生命力(※スラ+努力)をしみじみ思いこのオババ誇らしい・・・」とあり、甥として嬉しい文言でした。

昨年の発表会の時に,その方からあなたの唄は、「ハートフル」と直にいわれていた事とあわせての思いです。

※     スラとは方言で「血筋」という意。
おそらくそう思ったのは、私の祖父(母方)他に、叔父2人、母の従兄弟がサンシンを嗜み、お袋は唄が上手なので。
それに、コピーされた著者の手紙と、他に自身が所属していた会(短歌のグループ)の月刊誌に載せた「わがふるさと 珊瑚礁の島」の記事のコピーも添えられていました。
島のくらしの理解にと送ってくれました。
当時の島の情景の説明に引用し紹介したいと思います。
「『ヤマトカラフネガクダッドー』。
叫ぶようなその声に、港の空気が鼓動をうちはじめる。ボーと汽笛をなしながら沖かがりした蒸気船目指して漕ぎ出すいく艘もの伝馬船、下船してくる身内を迎える人の群れ、荷物を運ぶ為の馬、馬等で桟橋は大きく興奮に包まれる。単調ないつものくらしには見られない生活の哀歓が期せずしてそこにくり拡げられるひとときでもある。又上がり船で鹿児島に出ていくヤマト旅は、島の若者にとって最上の願いであると同時に、いつ帰れるかという別離の門出でもあった。旅立ちの朝は必ず別れの盃を交わして家をでるのが慣いである。
(島では内地のことを今でもヤマトと呼ぶ)
 

薩摩時代から海の難所として恐れられていた七島灘を無事に越えてつつがない旅を願う島人の熱い思いは今も昔も変わらない。命の綱である船が来なければ絶海の孤島となる宿命の島である。・・・・・」。

因みに、嘉永6年ペリー提督が琉球から伊豆下田に向かう航行中、はるか洋上に浮かぶ喜界島を見て、「クレオパトラアイランド」と呼んだと書いてありました。

 

 この記事を読むと、子供の頃昭和20年代、わが家を頼って上京してきた叔父、叔母の思いが伝わって来ます。
私の両親、今思えば所帯を持ったのが昭和18、9年ごろ父は本土で働いていたのですが、
母は結婚するため制海権のなくなった東シナ海を渡ってきたのかと思うと、いつアメリカの潜水艦に狙われるか不安に感じながらの航海だったのでしょう。
当時の若者、先に上京した先輩たちの成功を聞き、俺も、わたしも「青雲の志」を胸に、ヤマトに旅立ったのでしょう。
いつか、「故郷に錦を飾りたい」という思いを抱きつつ。
 

私の両親がそうでした。
強い決意と、大きく膨らむ夢を成就したいと願って、だから母も危険を冒してまでも本土へ渡ったのでしょう。
この思いは、私にも多少なりとも引き継がれました。
 

最後に詩集「詩人の引力」から、著者が回想しながら創った詩を紹介します。
・・・早町小学校の校庭で検査を受けた子馬たちを思い・・・
著者、1926年生まれ、戦場で命をなくした軍馬を思い創られた詩です。

 

島の馬たちの鎮魂歌

 

あの緑の小島の

明るい日光のなかに

多くの子馬たちが生まれた

彼らはただ生きている喜びで

狂喜し、走り、飛び跳ね

青空の下の最も清い空気を吸い

青い青い海のそばの

石ころや土を蹴って走り回った

しかし大きくなると

黒い船が水平線の彼方からやってきて

彼らを見知らぬ土地へ

運び去った

彼らはそこで馬具をつけられ

重い重い荷物を引っ張るように仕込まれた

そして彼らはもう一度遠く運ばれた

こんどははるか大きな船で

運ばれていった

彼らがうれしそうに走り回った島では

見たことのない火の玉が

爆発し

人間たちが殺し合っているところだ

やさしい馬たちは重い荷物を

引っ張って山を登ったり斜面を下りたり

雨や雪のなか泥沼にはまりこんだりした

ついに疲れ果て

飢え

あるいは敵の弾丸で頭をぶち抜かれ

みんな死んでしまった

彼らの生涯の

最後の瞬間に

かすかに嘶き

恐らく生まれた島の

きれいな青空を思い出しながら

 

私、18歳、昭和40年に喜界島に行ったことがあります。
一度は両親の故郷を見たいと思い。
訪れた時の島の情景を回想すると「詩」にあるように、

 

 空、海はあくまでも青く、
高い丘に登れば四方に海が望める、
夜は満天の星、水平線まで星がかかっている、
天空に天の川がゆったりと流れ、
悠久の時を感じる、
曇り空の夜、漆黒の闇、
まさに一寸先が見えない、
大自然にゆだねる珊瑚礁の島、
ただ、都会生活に慣れた私、
住みたいとは思えなかった。
 

母から、離島苦の話を聞かされていました。
叔母が、思い出に書いた記事にあるように
若者はヤマトにあこがれたのでしょう。
 
参考資料
詩集 詩人の引力 著者 郡山 直 出版 コールサック社
 
名刺の肩書きこう綴っています。
英詩人
翻訳家
奄美民謡研究家
今でも、某大学で名誉教授として教壇に立つ。

 

 

2010_0913_140420-DSCN0634.jpge.jpg 

「一度も植民地になったことがない日本」を読んだ中で、興味が持てた話がたくさんありました。前回のブログでは中世、日本、ヨーロッパの歴史観に触れましたが、
「家族の絆」、「詩」、などのこともそれにあたります。これを書いた著者はヨーロッパに長く住んでいる経験から日本、ヨーロッパの文化、価値観の違いを書いています。
私では、到底知りえないことを生活体験から学んでいるようです。

 

ヴァカンス中の猛暑で死人続出の項で、「家族の絆」に触れてこう記しています。
「・・・2003年の夏ヨーロッパ、特にフランスは異例の猛暑に襲われた。・・・・
・・・タイミングが悪かったのは、これがヴァカンス・シーズンであったこと。こんな猛暑を想像だにしなかったお役人たちはヴァカンスで連絡が取れず、対策は後手後手にまわった。もちろん病院の医師も同様で、なんと死者が1万人以上も出た。
猛暑で亡くなった方の80%以上が75歳以上のお年寄りだったというのは何ともいた痛ましい。それも一人暮らしや老人ホームの人達が大半というから、全くやりきれない話だ。
さらに「引き取り手のない遺体が200体以上もある」という報道に、さすが個人主義のフランス人も愕然とした。・・・・・」。

日本も今年は酷暑、計測を始めて以来、最も暑い夏、熱中症で同じように、一人暮らし、高齢者がなくなりましたが、そんな事態までには至りませんでした。
個人主義とはどんなものなのか、あらためて考えさせられる記述です。

※個人主義=国家・社会の権威に対して個人の意義と価値を重視し、その権利と自由を尊重することを主張する立場や理論。
簡単な定義ですが、これに沿って前述の「引き取り手のない遺体200体以上もある。」の現象を考えてみると、フランス人は「生きる事」は自分の力で行い、人に頼るなと教えているのでしょうか?


ある意味で、当然の事と思えるのですが、家族の絆を大切にする思いが欠如しているような気もします。私自身は、親を面倒見なければと躾けられています。
家族は助け合うのが当たり前です。
従来、日本人にあった家長制度の考えからすれば、なんと親不孝な人が多い国なんだろうと思うでしょう。

著者の友人との「会話」を紹介しています。
イタリア人のロレンツォは、このニュースに怒り狂った。
「こんなひどい話はイタリアでは起きません。イタリア人は親子の絆をとっても大切にします。猛暑が続いている地域に自分の親がいることはわかっているはずなのに、電話一本しなかったのでしょうね」
「私もそう思うわ」と大きく相槌を打って、ついつい私も強い口調になる。
「親のほうだって暑くて困っている、体調が悪いと、なぜ子供に連絡しないのかしら?
日本では全く考えられないわ」

 

私、会話の内容を聞けば著者とまったく同じ考えになると思います。
でも、信じられない話と思えるくらい、私にとっては理解しにくい現象です。
でも戦後、日本は家長制度が揺らぎ、個人主義を見誤り利己主義に変質しています。
遠からず、似たような現象が起きるやもしれません。団塊世代が老境の域に近づきつつありますから。
会話は続き、
ロレンツォは、うれしそうに大きくうなずく。
「それが日本とイタリアの共通点ですよ。日本もイタリアも、とても親子関係が緊密です。
でもね、フランス人はエゴイストなんですよ。親と子は別と考えている人が多いんです。」
「ロレンツォ、あなたね、そういうこと言ってはいけないわよ。フランス人全部がそうではないと思うわ」

 

この会話の記述から、ヨーロッパ人、それぞれも国の特徴をしっかり見定めて交流しているのでしょう。フランス人はイタリア人をどのように見定め特徴をつかみ、批判するでしょうか知りたいものです。
アメリカの映画などは、翻訳されたイタリア人の蔑称が「イタ公」となっています。
ヨーロッパの国々は民族意識が強く根付いているようにも思われます。
著者、こんな会話から、この猛暑がイタリアで起きたら、また日本で起きたらこれほどの死者の数はならなかったと思いますが、如何でしょうと問掛けています。
今のところは起こらないでしょう。

 

著者はさらにこう続けます。
今の日本では介護が国民的問題とのこと。ヨーロッパでは病院や高齢者施設にまかせるのが一般的なので、子供が親を最後まで面倒を見るしきたりが残り、一生懸命やろうとしている人たちがいるのはとてもすばらしい事だと思う。これは世界に誇るべき、日本の文化ではないだろうか。

 

しかし日本も行く行くは同じ道をたどるのではないでしょうか。
私の工場のそばにそんな施設が二か所あり、おばあちゃんが住んでいる家の隣にもあります。ここ数年で建ちました。
読んでみて、今のところ、そういう点は日本人とイタリア人共通していると考えます。

 

「詩(短歌)」についてですが、
介護短歌という感性の高さの項で触れています。
「若いころの私はヨーロッパ式にプロにまかせるやり方がスマートだと思っていたが、
自分が年齢を重ねるにつれ、住み慣れた自宅で身内の人に介護されることの貴重さを痛感するようになった。・・・・・何より私がいちばん強調したいのは、介護という状況を『短歌』を作ることで客観視できる日本人の感性、詩作の心を育むことがこんなに日常的になっている日本人の教養の高さである。」
著者は日本の俳句人口200万、短歌人口30万と数字をあげ、この詩作ができる日本人、詩を作るのはプロの仕事と思っているヨーロッパ人に充分自慢できることと言っていました。
私自身、20代の頃、短期間ではありましたが短歌を作っていた時期がありました。
観察力を磨くにはとてもいい作業と言われて勧められたからです。
それと子供の頃は百人一首でかるた取りをしていたことも、その気にさせたのだと思います。
私の叔母は短歌集「浜木綿」と題し本を出版し、また、知人が「詩人の引力」という詩集を出しています。
私の身近にもいるくらいですから、著者がいう通りと思います。著者、本の中で日本人の良さを強調する記述が目につきます。
この詩作の能力もその一つです。

 

老々介護なる現象も起きている昨今、
私の義母80歳を超え、私が週一回買い物に連れて行き、家内のおふくろ90歳を超えて、隣に住んでる長男が面倒を見ています。
「死ぬまで元気でね」と願っています。

最後に、著者が作った短歌を紹介します。

親と子が入れ代ったねと老母いう一時帰国の襁褓替える夜
襁褓(むつき)はおむつ。

参考資料 「一度も植民地になったことがない日本」著者 デュラン・れい子
     出版 講談社α新書
reiko.jpg

塗装実績と更新しました。

 

今月、ご紹介します塗装実績はプラスチック塗装です。

仕入れ先の方からの取次があり、その要請にお答えし引き受けました。

金属塗装専門ですがこのようにプラスチック塗装を取り組む機会があります。

塗装仕様は下塗り、上塗りの2回塗装しています。

ノリル樹脂、付着に難点があり下塗りプライマーで付着性をだしてから上塗りを施しました。

カバー大では、ねじ穴にねじが装着されていますが

、依頼主よりその状態で塗装してもらいたいと要請があり

その状態で塗装しました。

表面四角の部分は耐熱テープにてマスキングをしました。

精度を上げるために、マスキングシールなどを作製するのですが、

それほどの精度は必要がないとのこと。

イベント会場の照明装置に使用するものと説明を受けました。

 

◆ お問い合わせ先 049-266-5800

受付時間:10:00-17:00(土日・祝日を除く)
お問い合わせフォームはこちら
◆担当:上野

 

 

 

この円高、どうすれば!   2010:09:06:09:00:00

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ネットのニュースで次のように報じていたことを受けて、さらに詳しく教えて頂きたいと思い下記のメールをT氏にしたところ、メールで見解を伝えてきました。


以下、T氏へ送ったメール。
<<インターネットニュースで「スズキ自動車 会長が、限界超えている、円高に悲鳴 政府のシリをたたく。」と報じていました。
リーマンショック後でも、確か記憶の中では円高基調が続いていました。
原因として、ユーロ、ドルの信用不安、消去法で円が買われていたためと専門家筋からの情報で理解していました。
早く100円台にも戻ればと、願いつつも90円を割る状態が続き、ここへ来て、80円台が当たり前になり、限界を超える状況になってしまいました。
当社、国内需要にターゲットを絞りながら、売上確保の方針を進めていますが外需の仕事もでています。
何とかこの状況が変わってほしいのですが、今振り返れば対策が切実に検討されていなかったような気がします。
産業界の面々、当然ながら良いとは思っていませんでしょう。
何故、こんな状況になるまで手を打たなかったのか。
経団連含め、産業界の方々はどう思っていたのでしょう。
その点の見解をお示し頂ければと存じます。>>


私は、為替相場、円は100円以上でないと、輸出産業のダメージは大きく、輸出も伸びないのではと思い、金融為替相場には詳しくはありませが、とても気になっていました。
それが、15年ぶりの円高です。今後の動向が気になることと、景気への影響も心配でした。

何せ、100年の一度の大不況と騒わがれたリーマンショック。
この不況対応に意を注ぎ、何とか持ちこたえて経営している状況、中小、零細企業まで浮揚させるほどの景気回復が実感できない状態にあります。
なんとか打破できる状態になること願っているのですが、与党がその最中、党内代表選挙で
混迷状態が気がかりです。


以下が送ったメールの回答です。


<<1、国内的な要因。具体性と行動。決断のない菅総理
菅総理が軽井沢で夏休み中に円高がどんどん進む中
で、電話でどうも円高が進んでいるので十分注意する
様にとの話。 又その後に日銀の白川総裁と25日に
話合いをする事に為った、発表が出たが、結果は
呆れた事に電話で15分話しただけ。

何故自分を含め関係閣僚と日銀の総裁を含め総合
対策を打ち合わせするのが、強い産業、強い金融、
とは口先だけとしか考えられない。
担当大臣が十分注意して見守る、重大な関心を
もって見守る、コメントしたが其のたびに円高になった。
これは見ているだけで何もやりませんと言っている
と同様で投機筋は、 総理の行動,発言、閣僚の
発言をみて今の内閣は円高を阻止する気が低いと
見てドル、ユーロ、通貨を売って両通貨が下がる事に
拠って結果的に円高になった。
此の結果から言える事は現政府の無為、無策からだ。

2、海外、アメリカの場合、土地の値下がり、

不動産の不振、失業者の増大、

これ等に対してドルに対する信認が

多少下がってもやむを得ないと考えFRBは、
通貨供給量を2倍にして、ドル安に誘導し、
5年間に輸出量を倍にする計画にした。

 

3、ユーロ圏特にドイツは経済の振興、失業対策と
してアメリカと同様に通貨供給量を1.5倍にしてユーロ
通貨を下落させ輸出増を考えて対応とした。
それが証拠に最近の統計によると、BMW.ベンツの
輸出が急速に伸びているそうです。

空菅は財務省の話によって金融危機だと洗脳され、
急に消費税をと言い出す、確かに日本の国債発行
高は見過ごして良いと言う状態でない事は事実だが
それだから空菅の言うギリシャと同様になると大変だ
と言うのは余りにも経済音痴で、
ギリシャと日本を同列に考える自体大きな間違えで
ギリシヤは聞いた処によると国民の4人に一人が、
公務員で高給をとっている、又発行された国債の
70%は国外に売っていた。従って発行された国債が
償還されない事態になると、ユーロ圏全体に大きな
影響が及ぼし。ユーロ通貨に対しての信認に大変な
影響を及ぼす。


以上から見て世界が日本の金融がギリシヤと同様に
考えたならば円は暴落しているはず、日本に対する
金融上の信頼があるのは、890兆円の国債の92%は
日本国民が持っている、又国民の個人資産は、
1千400兆円あるので万が一※デフォルトに為っても
日本国内で処理が可能と他の国に対する影響は
少ない。
※債務不履行。公社債の利払いが遅延したり、元本の償還が不能となったりすること。借入金の返済が不能となったことをもいう。


又ギリシャにはない、日本は対外貸付、
及び資産だけでも200数十兆があり。
国の処分可能な資産合計も500兆円以上ある。
これ等の裏付けが有るから円が相対的に安心と
考え円が買われるのが現状で、其れに+政府の
無為、無策、今の内閣に金融のなんたるか、を経験
した者がいない。又空菅の金融音痴による、
適宜な指導力がない、財務省も貸借対照表の様に
負債:資産をはっきり国民の前に示すべきだと思います。
いつまでも国民に対して「大変だぁ~大変だぁ~」と狼小年の様
な発言は真実を言わずに、愚弄する様な事は、
もういい加減に止めるべきと考えます。


しかし政治のレベルは国民のレベルと言われています。
民主党の様な馬の鼻づらに人参をぶら下げて、
引きずり回されるようなことには乗せられない様な賢明
な国民になる事努力いたしましょう。

以上私の拙い知識の中からもうし上げましたが、色々
と間違えも有ると思いますが、ご容赦の程お願い
致します。
 8月28日 12時 S.T>>


円高になる要因として、ユーロ、ドルが輸出振興のために、安値安定を政策していることから、起きている事。また国債発行でも自国で92%を賄っている点もその影響と理解できました。
ギリシャの公務員が国民の4人に1人、給与が民間レベルの1,5倍、これじゃ破綻の危機になるわけです。
わが国も、公務員給与、人数等で自治体が削減に向けて、取り組んでいますが、
しっかりやらないとギリシャの二の舞になりかねません。


敗戦後、約10年ほどで経済産業復興を成し遂げ、高度成長期をむかえ、GDP約500兆円の経済大国となった日本、平成大不況期から20年以上が経ち、繁栄を支えてきた産業基盤に大きな変化、産業構造空洞化と言われつつ、国内生産から、国外生産に切り替えてほぼ30年、これでは今までのような成長は期待できません。


国民としては、辛抱の時代を迎えていると理解しなければいけないのではないでしょうか。

亡くなられた初代若乃花は「人間、辛抱だ」と言っていました。

おもらい根性で、お上からもらえるもの、何でもと貰っていればいつかツケは国民に回ってくることは明らかです。
T氏が言われるように、政治に対して賢明な判断が必要な時代です。

格言にこうあります。


「人によって起こり、人によって栄え、人によって衰え、人によって滅ぶ、治乱興亡の跡を辿るとまさにその通りである。」

訃報を9/1のネットニュースで知りました。
確か昭和3年のお生まれ、82歳です。
如何なさっているか、気にかかっていたのですが、残念でさびしい気持ちにもなります。
私らが子供の頃、相撲人気の全盛時代、栃錦と共に栃若時代を築き数々の名勝負を残し私の記憶に刻まれています。
若乃花、相撲の特徴は小兵ながら「小、よく大を制す」を地のまま体現されていました。
栃錦も同様ですが、なんといっても大技、呼び戻し(仏壇返し)は凄く印象に残っています。
鳴門海、潮錦、房錦などを土俵に叩き付けた業です。
左上手で、上手出し投げのように崩しをかけ、懐に呼び込み右手で掬うようにして相手を裏返しにする技、本当に凄いです。
一度、貴乃花がそれに近い技を使ったことがありますが、決まり手は呼び戻しとはなりませんでした。
今の相撲取りには、もう出ない業だと考えます。
寄り切り、押し出し、はたき込みなどが多くなり、投げ技の決まり手が減っています。四十八手と言われ決まり手が多くあるのですが体現できる力士が育っていません。
それも、今の相撲が面白くない一因でしょう。
大型化、稽古量、質の低下も上げられます。

強靭な足腰を持っていた力士、その足腰の強さは、長男として一家を支えるため沖中士をしていた頃に身に付けたと聞いています。
岸壁から船まで板一枚の渡しを重い荷物を運ぶ仕事、板はしなり安定が悪くバランスを崩せば海に落ちてしまう過酷な作業、これが足腰を鍛えるのに役に立ったのです。
バランスを保ちながら、重いもの運ぶこの作業、武術的な足腰を作るに適した動作です。
現役時代、その足腰の良さ、剛腕さを見せています。
タニマチが部屋での稽古中に、一斗樽を持ち上げれば賞金をやるとけしかて、兄弟弟子であった若ノ海、若秩父などが挑戦するのですが、上げられません。
難しさは、入っている日本酒が揺れて上げづらくなるからです。
それを見ていた若乃花が挑戦、一気に差し上げてしまうのです。
この辺りにも、如何に足腰が強靭だったことがうかがえます。

 

なぜ一家を支えるために働かなければ為らなくなったのかは、自伝にこう記されていました。
「・・・花田家はリンゴ園を手広くやり、その傍ら精米所を経営していた。進取の気象に富んだ宇一郎(父親)は、不況を乗り切るためリンゴの品種の改良に力を入れ、金木の近くの嘉瀬に、家や精米所などを担保に入れ、山を買い、さらに十町歩(約10ヘクタール)ほどのリンゴ園を作った。まさに乗るかそるかの大博打であった。昭和9年4月、勝治は新和小学校に入学した。しかし、勝治は小学校1年生に2学期には転校せざるを得なかった。それはすべて自然がもたらした運命の転機だった。昭和9年9月21日、気圧911.6ミリバール、瞬間風速60メートルの室戸台風が津軽地区を襲ったのである。・・・」
この災害により、破産を余儀なくされ北海道に移り住むのです。

角界入りの切っ掛けは、後に師匠、花籠親方になる大ノ海の友人が、勝治の素質を見込んで宇一郎を口説き角界入りを薦め、あまりの熱心さに根負けしたのは宇一郎でなく、母きゑの方であったと自伝に記されています。
こうして、昭和21年11月4日に行われた新弟子検査に合格するのです。
174㎝、体重75キロ。
四股名は、師匠大ノ海の前名若ノ花。
戦後の入門で最初の横綱となるのです。

テレビでも放映されていましたが、なんといっても印象に残る名勝負は昭和35年、横綱千秋楽全勝同士の対決です。大相撲史上初めてということもあり大いに注目されました。
がっぷり四つ、栃錦、持久戦不利と見て若乃花右下手の手首をつかみ、まわしを切りに行きます。
その瞬間、若乃花、一気に栃錦を寄り立て、寄り切りで決着。
手に汗握る白熱の大相撲、本当に興奮しました。
今はあまり見かけなくなった相撲の取り口です。

栃若時代、どちらかと言えば若乃花が好きでした。けれど栃錦にも魅力を感じていました。
若乃花より年上で、戦前の入門です。
技が多彩で、二枚蹴り、首投げ、が印象にあります。
それにしても、あの頃の力士、個性豊かで、決まり手も多彩、娯楽の少ない時代でテレビ放送開始から大相撲が放送されたのが、人気が出た理由でしょう。
当時は民放も中継していました。
見て居て、楽しい相撲でした。

横綱昇進が昭和33年1月、10回優勝して引退が昭和37年4月30日、二子山部屋を起こしてからも、凄かった。
相撲社会に入り頂点まで登り詰めることができたのは、猛稽古との信念で力士を育てます。
現役時代、彼の稽古経験談に、稽古で疲労し体がきつくなってしまうがそれを我慢していると、疲労感がとれ何番でも稽古ができたと言っていました。
ある意味、ランニングハイと言われるような「ハイ」を経験したのでしょう。
ぶつかり稽古今は30番程度、しかし80番以上こなしたというから稽古量の凄さが伝わってきます。
その信念が、横綱隆の里、二代目若乃花、大関貴ノ花(末弟)、若嶋津、他大勢の幕内力士を輩出します。
確か部屋最初の関取が二子岳です。
一族で見れば、自身が横綱 弟が大関、かつ甥っ子二人が横綱を張っています。

現役時代は横綱を張り、親方になってからは名伯楽と称され、理事長までになった人。
まさに堂々たる人生と言えるでしょう。
自伝でも言っていましたが、リンゴ園が潰れなかったら今日の人生はなかったと。

でも、人生と言うもの良い事ばかりはなく、昭和31年に、長男、勝男君がちゃんこ鍋にしりからつっこんで、火傷がもとで亡くなります。
自伝で、述べています。
「親の不注意を責めるべきか、天の無慈悲を怨めというか、そのとき、私はよく気が狂わないですんだと思う。・・・」
この事故が彼を信仰の道にすすめ、数珠を肩にかけて土俵を努める姿が注目を受けるようになりました。
後は、長女幸子さんの離婚でしょう。
二代目若乃花と結婚するのですが、破局します。
マスコミでいろいろと言われていましたが、二子山親方が強引に決めたことが原因と伝えていたように記憶しています。
脱税問題を起こしています。
中野税務署が二子山部屋の経理にメスを入れたのです。
それまでは各地区の税務署は相撲部屋に対しては国技だからといって税制面で厳しい監査はしていなかったようですが、時代の移り変わりでしょう。
バブル景気が終わった平成7年ごろの出来事ですが、その頃の景気でも多くの収入があったのでしょう。
相撲部屋、税に対する「甘えの構造」「ゴッツァン」体質を変えることを迫られます。
そして今、財団法人相撲協会の体質の改善を求められています。
新理事長 放駒親方に「大変な時期だ、しっかり仕切れよ」とお見舞いに訪れた時、話したとのこと。
ご苦労様でした。昭和の御代、大変な時期を克服しながら生抜き、波瀾万丈の人生ともいえます。
ご冥福お祈りします。
合掌

<追記>   白鵬 大技「呼び戻し」で土俵の鬼継承

白鵬が"土俵の鬼"の技を継承する。立浪一門の連合稽古が2日、東京都江東区の伊勢ケ浜部屋で行われ、横綱・白鵬は申し合いで新十両・宝富士を「仏壇返し」とも呼ばれる大技「呼び戻し」で豪快に投げ飛ばした。ネットニュースより

白鵬が以前から、あこがれていたようで、若乃花の映像を見ては稽古していたそうです。
本場所で決められるかどうか?

対戦力士格下で、軽量であればチャンスはあるかも。

 

参考資料

「土俵の鬼 二子山勝治」 著者 川端要壽 出版 河出書房新社

「花田家三代の謎」 著者 由比三次 出版 ピイプル社

塗装不具合として返品された製品を確認した結果、ダイカストの成型時にバリの形として現れた現象。

目視で見分けがつかないケースが多々起きます。

 

9tuki hinnkann.jpg 

次の写真は同じ箇所に出た現象で、打痕ではないかとは判断されたが、拡大してみると湯じわの現象に見える。

9tuki hinnkann1.jpg湯の流れ方から起きる現象です。

 

日本武士道史、読書感想   2010:09:01:09:00:00

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三冊目に借りた「日本武士道史」を読んだ感想文をメールして来ました。
電話で、お礼を言いそれを皮切りに、会話をしました。
私は弟子に、自分が武士道に関心を持った経緯などを話、彼との時代的背景の違いなどを説明しました。
彼は、さほど予備的な知識はなく、彼、本から学んだ事柄が心にしみるように入っていたのでしょう。
感想文から見てとれます。

私は彼にこう言いました。
「小さい頃は、娯楽的な時代劇が流行っていたが、昭和30年代後半頃には封建制度の問題点を突くような時代劇が作られるようになった。例えば「切腹」、「武士道残酷物語」、「拝領妻始末、上意打ち」など、忠誠心を逆用してその武士の人生を翻弄するような物語があって
、高校生の頃、そんな映画を見て、武士道に疑問を持つこともあったが、自分なりになりに咀嚼し大切なことと理解した」と。

やはり日本人なのでしょう、武士という言葉の響きに惹かれるのは。
強さにあこがれる子供の頃、そんな男になってみたいと思う対象になったのでしょう。
他に、時代劇でその頃流行っていたのは、「座頭市」「眠狂四郎」などが記憶にあります。
剣を取れば天下無敵。
「強さ」が常にテーマにあります。


感想文に「信義」「勇気」などの言葉が出てきます。
今、日常的にはほとんど使われなくなっている言葉と感じます。
以前、ブログにも書きましたが、精神性を示す言葉、「克己」「泰然」「従容」「悠然」など読める人が少ないこと自体、精神面に目を向けることがなくなって来ているのだと思います。
私自身は、大学で合気道部に入り、肉体、精神を鍛錬しなければと思っていました。
4年間でしたが、その期間の経験が根っ子となり、今もその時に学んだことが生きて、考え方にも良い影響を受けたと感じています。
合気道開祖は精神性に於いて、神道の影響が多くあり、記紀についても造詣が深く、合気道を通じて我々にその理念を教えています。
若い頃は、チンプンカンプンで話を聞いても全く分からず、正座をしてお話を聞かなければならないことがつらかった思い出があります。
しかし、30歳過ぎた頃先輩の弟さんから頂いた開祖の講話テープを何度となく聞いているうちに考えが理解でき、年と共に関心を持つようになり、今は少しずつですが、※大和言葉の意義、神道、記紀などの書籍を読んで勉強しています。

※教材として、25年前に購入した「コトバの原点」から学んでいます。音図表アイウエオを基に「事=言」の成り立ちを学び、言行一致の大切さを教えています。

例)ヤマとシマのコトバから、現象的には個々(山と島)の存在と見えても、マ語の次元では、同じ地殻(全)から個々のエネルギー現象である事を知った。従ってマ語という基語の性格は(語位相)は連続性(全)の中の個々のエネルギー現象と、一応定義づけることができる。そのマ語の位相は、他の語と組み合わされても、その原則は変わらない。

 

合気道と出会えなかったら、まず関心を持つことはなかったと思います。
精神文化として日本民族の原点とも思えるようになりました。

そう言う意味で、日本民族の骨格をなしていた武士道精神に関心が及ぶことはうれしく思います。
彼も感想文で書いているように、「覚悟」に強い関心が行った事、読んでもらった甲斐があります。

 

以下の記述は彼の感想文です。

「この本を読んでの一番の印象は、日本人の覚悟である。
以前日本人には、滅私奉公、七生報国の過程には死に物狂いの哲学があったようだ。
武士道とは日本独自の行動哲学だ!とこの本の冒頭にあった言葉であるが、それがいつの間にか日本人の心から失われてしまった。戦国武将の行動からは勇気と信義を見て取れた。"義のためには例え友であっても友情も捨てる"
という覚悟!また織田信長をして手も足も出なかったという家臣:稲葉一鉄の行動・・・そこには彼なりの哲学がある。それが、男心を擽る。

ところがいまはどうだ!多少の弾圧で志を変える現代人。そんな人間に誰が付いていくか。時勢に従い豹変する政治家・学者・文化人しかりである。(自分の事は棚に上げさせて頂くが(失礼))
金や名誉は欲するが責任感が無い。責任も転嫁する。よって問題も起こす。
本来の日本人には覚悟があった。それが西洋人から見れば美しくみえるのであろう!合理主義も否定はしない。が、心が見えない!

人を活かすためには人間力を磨く必要がある。それを怠った日本人は見事な1億総エコノミックアニマル、成金になった。
40年前、東京大学の大河内総長が卒業生に行った言葉「太った豚になるよりは、痩せたソクラテスになれ!」これが全く活かされることなく今に至っている。
今こそ武士道を見直せ!と問いたい。今の教育からそれを学ぶことが出来ない。では、どこから学ぶのか・・過去から学ぶしかない。温故知新である。昔の良いところを残しつつ新しい考え方であればよかった。ところが以前の良い部分は全て封印してしまった。
今こそ日本人が気づいてその精神を学ばなくてはならない。当時の武士は、社会正義、人のための哲学を持っており、それがぶれていない。君を通し忠誠を通して社会正義に通じるものであった。
① 武士道に於ておくれ取り申すまじきこと
② 主君の御用に立つべきこと
③ 親に孝行仕るべき事
④ 大慈悲を起こし人の為になるべき事

・ ・これを現代人はどう思うか。
武士道は、日本の行動と思想の基準を作ったのだ。
その武士道は簡単に得られるものではない。一生賭けての修行の道である。
勇気を持って立ち上がれ日本!そして覚悟と責任感をもって立ち上がったときこそ真の日本人の誕生である。そう感じさせた一冊であった。」

結びの言葉に、「勇気」「覚悟」「責任感」と記しています。
草食系男子なる言葉が流行る今の世相から見えてこない事を認識したのでしょう。

参考資料

 

2010_0817_141711-DSCN0629e.jpg武士道史e.bmp 

 

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