2012年2月アーカイブ
T氏の時事放談--トップ・リーダー-- 2012:02:19:10:12:40
T氏の時事放談--大阪市の職員給与-- 2012:02:14:14:19:53
昨日、T氏より大阪市の職員給与についてメールがありました。
橋下氏が大阪市長選挙で圧倒的な勝利を収めましたが、
市民もやっとおかしいと感じたからでしょう。
以下がそのメール、
>大阪市の内情を知れば本当に酷い物です。
職員の給与は市民の1,6倍
係り長は三人に一人
部長の数は部の数の数倍
局は一つしかないのに局長は4名
バスの運転手の給与は700万以上
警備員の給与は民間320万の倍以上
此れで市の職員が勤務時間中の前の市長の
選挙応援した理由が自分たちの利権を離したく
無かったのが最大の理由で、市長も判っていながら組合と馴れ合いで選挙していた事になります。
此の様な事は大小は別にして他の市でも行われているとの事だとそうです。
以下が私の返信です。
>こんにちは!
いつも、時機を得たお話有難うございます。
噂ではいろいろ耳に入っていましたが酷いものですね。
43年前私、佐世保に数ヶ月間いた事がありますが
そこにあった会社、佐世保重工業とダブってくるのです。
その会社、労働組合が強く労働者の待遇はとてもよく、
その地域では勤めている人たちはエリートの様に思われて、
勤務できることが羨望の的のようだったと記憶しています。
その後、その地を離れて何年か後、造船不況で業績が悪化し、
再建のため再建王と言われた坪内寿男さんが出向いて、
会社の再建を行うのですが、組合の権限を剥奪して合理化したと記憶にあります。
民間企業であったればこそ荒療治も出来たのでしょうが、
大阪市の役所税金で賄う組織、本来してはならない選挙活動して利権を職員が守ることに躍起になり、
平成大不況になっても体質は改まらず、今日に至りさすがに大阪市民も目が覚めたのでしょう。
橋下さんに言われて。
戦後、組合活動が活発になり高度成長にも助けられ、賃金交渉も出来たでしょうが、
デフレの今は経済の基盤が大きく変わっている状態では難しくなっています。
しかし、大阪市の職員自分たちのエゴで選挙活動をしていた事、
今や容認できないでしょう、財政赤字が増えるばかり。
でもひどすぎますね!
大阪市民今までどのように思っていたのでしょう。
いずれにしろ、地方公務員、国の公務員の賃金は見直しですね。
大震災、円高、タイ洪水等、日本経済立て直しの真っ最中、
それにしても「円高」により海外へ生産拠点を移す企業も増えているとか、
どうなるのでしょう
2月塗装実績をお知らせします。(カッター部品) 2012:02:13:16:42:10
塗装実績を更新しました。
今回は新製品です。
本体とハンドル。
色はグリーン、工業部品が多くこのような塗色は珍しい部類になります。
そんな地味な色が多い中、グリーン色の塗装された製品がハンガーにつるされて、
乾燥炉から出てくるのを見ると華やかな感じがします。
◆ お問い合わせ先 049-266-5800
受付時間:10:00-17:00(土日・祝日を除く)
◆ お問い合わせフォームはこちら
◆ 担当:上野
今年は寒さ厳しい冬!! 2012:02:13:08:00:00
今年は例年になく寒さ厳しい冬のようです。裏日本と呼ばれていた地域は寒波で大雪、凍結で大変な目にあって、ヨーロッパ各地も同様で対策におおわらわです。
マウンテンカップ(エアゾール缶の蓋)コート専門でやっている当社川越第二工場もその寒さで作業に支障が出る始末。
洗浄機の冷却水を冷やすクーリングタワーが凍結して作動不能に。
中に氷塊が出来てしまいました。
凍結防止と一晩動かしたのが裏目に出ました。
工場を立ち上げて24年になりますがこんなこと初めて。
配管が破裂してしまい急遽水道屋さんに修理をお願いしました。
車で通勤していますが、その寒さを実感したのが車の温度計の計測値、-6℃を示した日もありました。
本社工場では、3価クロメート処理装置、循環用配管が凍結です。
それと前処理ラインの槽の水が寒さで冷えて、エッチング槽では反応が鈍くなる始末、電気ヒーターで加温しなければならなくなりました。
当社だけでなく、ほかでも同じような事が起きているのではないでしょうか。
温暖化と言われていますがそれを感じさせない厳しい冬です。
こうなると早く暖かくなってと願うばかり。
採用情報 2012:02:12:10:52:06
川越地区危険物安全協会の新年会へ 2012:02:10:08:00:00
1月27日、新年会へ出席しました。
仕事柄、毎年欠かさずの参加です。
例年と違ったところ、宴席で禁煙となっていました。
配膳をしている女性に灰皿がないから持ってきてと頼むと、禁煙になっていますとの返事。
いつも喫煙できていたので、「何故ですか、責任者を呼んで」と話すとしばらくしてやってきました。
禁煙の理由として、来賓の市長さんが煙草を吸われないのでその配慮からと説明。
仕方なく承諾しました。
会が進み来賓あいさつ、紹介が済んで乾杯、それから酒、料理を口にしながら同席者と懇談です。
しばらくたつと、たばこを吸いたくなり会場の外へと。
喫煙所は、フロアの片隅に用意されていました。
テーブル型の排煙装置が置かれており、すでに何名の方が喫煙です。
喫煙者にとっては嫌なご時勢と、愚痴が出ますが会話が弾みます。
喫煙する者同士、連帯感を持てるのが弾む理由かもしれません。
当然の如く、会場と喫煙所を行ったり来たりとなります。
従って、喫煙所がサロンの場になり、親しく会話ができていつもより懇談が盛んになり交流が深められる結果に。
「コミュニケーション」にひっかけて「ケムリケーションですね」とつい一言発しました。
来賓として来られていた消防士とも親しくなり、昨年の大震災も話題に上り川越消防署からも復旧作業の応援に行ったと話していました。
アメリカなどは職業として尊敬され、まさに男の仕事と私が話すると、共感したのか話してきます。
テレビでは自衛隊員がよく映像で紹介されているが我々もその場で作業していたと。
消防は市町村単位なので、埼玉県では隊員が多くいる川越がその任に当たったとも言っていました。
自衛隊は国、警察は県、消防は市町村単位との説明。
私、来年はたばこを吸う市長さんであればと冗談を飛ばしたのですが、任期満了に伴う選挙があるようです。
宴席で喫煙できるようになるのかな。
宴席に戻ると親しく話した消防士がやってきて会話が続き楽しく過ごした新年会でした。
品質管理事例(その24) 巣穴のブツ 2012:02:08:12:20:43
前回と同様に他の亜鉛ダイカスト製品から発生した不良ブツです。
塗装工程から起こりうる不良率より多く出ていたので指示して調査させました。
噴火口のように見えます。
この塗膜をアセトンで除去します。
数回拭き取った状態。
すべて除去。
へこんでいるために取れずに残る。
拡大すると、
最初の写真の形状の下に現出したものですが、
調査した者が下記の様に見解を報告してきました。
T氏の時事放談--ガスの値下がり-- 2012:02:08:08:00:00
川石酒造之助--フランス柔道の父-- 2012:02:06:08:00:00
前回、「宿命のライバル対決 柔道 日本対フランス」でブログを書いた時、始めて知った柔道家の名前でした。
どんな人物だったのか非常に興味がわき、ネットで調べると自伝が出版されていることがわかり本を購入しました。
題名 「世界にかけた七色の帯 フランス柔道の父 川石酒造之助伝」とありました。
私が知っている昔の柔道家は西郷四郎(姿三四郎のモデル)、前田光世(グレーシー柔術の祖)、三船久蔵(空気投げで有名)、徳三宝(奄美大島出身、三船のライバル)、木村政彦(史上最強と謳われる)等いますが、川石酒造之助は知りませんでした。
※技法 日本傳柔術より
日本では余り知られていない理由として戦前、大日本武徳会と講道館の対立もあり、武徳会出身の酒造之助、それと教授方法が講道館と違うために
疎んじられたようです。
従い、広く知られる機会がなかったためと思われます。
名前が示す通り家が酒造り家、田端義夫「大利根月夜」で歌われる平手酒造と同じ名前が使われています。
特徴のある名で余計興味がわきました。
本の年表によると、1899年(明治32年)8月13日、兵庫県姫路市手柄の川石孫次郎の5男として誕生。
大正7年2月、大日本武徳会より初段を受ける。
大正13年、早稲田大学政治経済学部卒業、その年12月23日講道館の紅白試合によって4段に昇段。
本は川石酒造之助が再びパリへ戻るところから始まります。
このパリ行きは、永住覚悟で生涯日本には戻ることはなかった。
自伝を読み、彼がいかに柔道をフランスに根付かせたか、いわゆる「川石方式」と言われ、技名がフランス人には覚え難いので腰投げ1号と言うように技に数字を使い覚えやすくしたこと、昇級の励みとするため「七色の帯」を採用した事が大きいかったようです。
それと彼自身の才覚もあったことも挙げられます。
もともと政治家志望、その点の才能が普及に役立ったようです。
詳しいことは本を読んで貰うしかないのですが、私が読んで「何故にフランスに広まったか?」と言う点に関心が行きましたので、
その点を記述します。
元フランスナショナルチームのメンバーで柔道6段、現在ボルドー大学スポーツ学部の教授がフランスの柔道史を著した本「柔道 その歴史と成功」に詳しく書かれていました。
それによると19世紀末には、柔術が知られるようになり1900年前後頃には古流柔術のフランス、イギリスでも護身術として演武されています。名を挙げると、谷幸雄、上西貞一、三宅太郎、大野秋太郎等、そんな早くにとこの記述をみて驚きました。
ブームの切っ掛けになったのはレ・ニエと言うフランス人が柔術を覚え、それが評判になってボクサーから挑戦を受けます。
6秒で勝負がつくのです。
極めた技「腕ひしぎ」。
これがたちまち評判となり、上流階級の人達が入門するようになったのです。
またその頃、フランスでは日本趣味(ジャポニスム)が流行り、日本の文化に関心が高まっていたことも影響しているのでしょう。
そんな背景もあり、酒造之助が柔道を教えた頃1930年代には受け入れられるようになっていたのでしょう。
また、フランス人が、日本の美、礼節、武道精神に関心があったことも理由でしょう。
戦前までに広く普及しましたが戦争のため酒造之助はフランスを離れなければならなくなります。
それで、戦後フランスの要請で、講和条約が結ばれていない時代でも再び渡仏できたのです。
これで、戦後広く普及し現在に至るのですが、酒造之助の功績で柔道教師が国家資格となり、授業料も他のスポーツより高いために職業として成り立つのに大いに役立っています。
日本では考えられません。
合気道の後輩で合気道教室を開いて職業として居る者もがいますが数名ほどです。
話しを聞けば道場経営大変様ですが、それで生計を立てている事に頭が下がります。
私の知る限り、海外の方が職業として成り立ちやすいように思えます。私が知る事例ですが30数年前合気道を習いに来ていた金髪女性のアメリカ人愛称「パット」と呼んでいましたが、師の葬儀の時久しぶりに会って知った事弟子が300人です。
驚きましたね、海外の方が武道の需要が高いです。
フランスも同じでブログに書いたように80万人が柔道を修業しているのです。
隆盛するのはやはりフランス人が武道精神を尊んでいるからこそ。
その記述を紹介します。
「・・・・・・柔道を習うときにはなにがしかの儀式が伴い、これが柔道の門外漢や初心者を驚かせる。品位ある態度、無駄口を慎むこと、厳格な礼儀作法を守ることなどこれら全体が柔道教授に分かち難く結びついている。この環境が芸術や技術を遥かに超えた能力を開発するのに必要なのである。「道場」とは人が深い内部からの変革を受ける場所なのだ。・・・中略・・・柔道について何を知っているか、何ができるか、が大切なのではない。重要なのは柔道によって自分がどれだけ変わったか、ということだ。柔道は知識の技でなく自己改革の技なのだ。柔道による自己改革はそれにかけた修業時間の長さに応ずる。先輩、後輩の序列は単に外観的なことではないのだ。・・・・・」
この文章を読みフランス人がここまで深く柔道というものを修業と理解していることに驚きました。
私自身、反省させられる思いです。
参考資料
ドキュメンタリー 「宿命のライバル対決 柔道 日本対フランス」の番組を観て。 2012:02:03:08:00:00
1/11日、夜NHKBS1の番組でした。
フランスと日本の柔道の交流の歴史を取り上げながら、フランスが本家日本柔道を凌駕するまでの経緯を報道していました。
フランスは、戦前から柔道が普及し始めたようです。
注>川石酒造之助(1899-1969)は日本で四段を取得した後、将来政治家になることを志し、1926年アメリカに留学。アメリカやイギリスで柔道を指導し、1935年にフランスに移住し、日仏柔道クラブを創立。川石方式という外国人に対する柔道教授法を考案し、技術だけでなく柔道精神をも指導していく。川石の弟子達(フランス人)はこの川石方式を用いてフランス国内だけでなく諸外国で柔道を広めたという。 ネット記事より引用。
学ぶ人たち、インテリ層に多く教養を身に付ける手段と考えていたようで、武士道精神を学び心の鍛錬を重んじていたようです。
新渡戸稲造が書いた「武士道」から精神を学んでいたことを伺わせます。
フランスに広く普及する礎は戦後が始まりで、
黒帯を取得した柔道家が競って教室を開き普及したようでした。
私、多少なりとも合気道をやっていたので、その普及されていく過程は本などから知識を得ていました。
戦後、普及に尽力された方の1人に望月稔氏がいます、戦前嘉納治五郎の指示で植芝盛平翁に師事し合気道も修業されていました。
「日本傳柔術」なる技術書を出されています。
静岡を拠点に養正館道場を開きフランスの警察も指導。
フランスに行って普及活動をしたのが時期的には昭和20年代です。
合気道も同じ頃、合気道家阿部正氏がフランスに渡り普及に努めています。
この方、数々の武勇伝を残しています。
合気道は戦後、植芝盛平翁直弟子の方々が世界各地に渡り普及に努めていた頃です。
剣道もそうですが、ヨーロッパでは日本の武道、およびその精神が正しく受け入れられている様です。
その逸話として、1970年(昭和45年)に第一回の世界剣道選手権大会に参加したヨーロッパ圏の団長2、3の人が当時剣道連盟の木村会長に語った言葉で知ることが出来ます。
「・・・・私たちは日本の若い選手たちと勝敗を争って、選手権をとろうなどとは考えてはいない。本当の剣道を学ぶことによって、日本の古武士のような風格を身に付けたいためにやるのだ。」 剣と禅より。
これを聞いた木村会長は、非常なショックを受けたという。
当時スポーツ化してきた剣道を外人は修養のために学ぶと言うのだからショックを受けたのでしょう。
私もこの記述を読んで反省させられる面がありました。
柔道がフランスで盛んになるのも、実用面で身を守る護身術、修養面でも武士道精神を身に付けることを心がけているのでしょう。
これなどは合気道でも同じ事が起きています。
ブログで取り上げましたが、コロンナータと言うイタリアにある小さな村の合気道道場でも合気道開祖の哲理を学び稽古に励んでいる人たちがいるのです。
そんな国柄のフランスですから、柔道も日本に追いつき追い越せと目指したのでしょう。
1970年代頃は未だ日本柔道家には太刀打ちできず、選抜されたフランス選手が天理大学に修業に来て技を磨くシーンが紹介されていました。
そのシーン痛々しいほどで、怪我をしながらも日本の選手相手に稽古していました。
松葉杖を使わなければならないほどの負傷ですが、強くなりたい一心で克服しています。
当時の大学柔道部、それは激しい稽古をしていたようです。
新年の挨拶に来た方が私の大学の後輩で体育会柔道部に所属していたので、その番組を見た感想を話したら夏合宿の稽古の体験談を話してくれました 。
例として、ブリッジの稽古で頭が擦り剥け化膿し、脇を締め引きを強くするための稽古で匍匐前進みたいに両肘を使うのでやはり擦り剥け化膿したと。
毎日落とされ失神するのは当たり前、殴られ蹴られも当たり前と言っていました。
ですから、ケンカの方が楽とも言っていました。
天理大学で稽古されたがインタビューで語っていたのが、山下泰裕選手当時高校生だった彼に全く歯が立たなかったと。
しかし、力は接近してきました。その例が、シドニーオリンピック100㌔超級決勝戦、篠原vsダビド・ドゥイエです。
誤審と騒がれ日本では大騒ぎでしたが、結局ドゥイエの勝利。
重量級で本家日本が敗北、ある意味象徴的な出来事でした。
過去にも、東京オリンピック無差別級でも神永がヘーシンクに敗れたことがありましたが、まだまだ柔道は本家の面目を保っていました。ヘーシンクが言ってましたがこの時日本が勝っていれば地域性の高い競技としてオリンピック競技から除外されたろうと。
しかし、時はながれ広く世界に普及し講道館柔道がJUDOになり、変質していきました。
「小よく大を制す」を体現した柔道家岡野功氏が言っていましたがこれからはフランスが主体となってJUDOを引っ張るだろうと。
競技人口は増えているそうです。
フランス80万人、翻って、日本では20万人、指導者の数も減っているとの事。
彼がそういうのは当然かもしれません。
こんな話をすると後輩が言っていました。
ルールの変化、「技有り、一本」の判定しかなった事が、「効果、有効」の二つが増えてレスリングみたいになり、
生活様式が変化して座ることが少なくなった日本人、短足胴長でその利点が生きていた昔と違い体躯も西洋化してしまい腰高な日本人、体力的に勝る西洋人には勝てなくなるだろうと。
それが100㌔超級で勝てなくなった理由なのでしょうか。
私の合気道師範がどのくらい前だったか、合気道もこれからは本物は外人から教わるようになるだろうと言った言葉を思い出しました。
合気道の稽古に取り組む外人の姿勢がそのように思わせたのでしょうか。
フランスと日本の違いを一言でいえば「※鍛錬」と言う意味の理解度とその大切さの認識でしょう。
※鍛錬 1 金属を打ってきたえること。
2 きびしい訓練や修養を積んで、技芸や心身を強くきたえること。「精神を―する」
フランス人、「鍛錬」真の理解があればこそ競技人口が増えているのでしょう。
昨今の日本人は快楽主義に流れ過ぎ。
今の日本人が武道から学ぶことを忘れ、古臭いものと思うようになっているのかもしれません。
残念です。
女性宮家創設に一言 2012:02:01:08:00:00
「女性宮家創設」の記事を読んで感じた事ですが、何故宮内庁長官がこのような進言をしたのか私には納得できない点があります。
皇室が連綿と伝統を守り続けている重みを理解していないように思えるからです。
皇室と神道とのつながり、皇室が行う行事は神道の祭事と深くかかわり3000年の歴史を繫いでいるのです。
このような伝統を繫いでいる国、日本に於いて他にありません。
この長官はその意義を理解していないように思えます。
どんな人物とネットで調べると次のような記述の記事がありました。
「・・・厚生労働省勤務時代は、風岡宮内庁次長とともに、ノーパンしゃぶしゃぶ「楼蘭」の顧客の一人として、
名前を挙げられる。宮内庁長官就任後は、任命権者であった内閣総理大臣(当時)・小泉純一郎と同じく、
女性天皇・女系天皇を容認する皇室典範に関する有識者会議の結論を支持している。寛仁親王が男系維持を希望する発言をした。・・・・・」ネット記事より引用。
1942年生まれでした。
年を知り、なるほどと感じたことは戦後教育で育った世代、古事記、日本書紀等皇室と関わる事柄に対して認識が浅い世代です。
日本が育んできた精神文化は神道に根ざしている事は間違いありません。
それを深く理解していれば、「男子一系」の重さに理解を示すはずです。
「宮内庁が、皇族女子による「女性宮家」創設の検討を「火急の案件」として野田首相に要請したことがわかった。
併せて安定的な皇位継承制度の実現も求めている。皇室典範は、女性皇族について、一般の人との結婚などにより皇族の身分を離れるとしており、女性宮家創設にあたっては、宮家の当主となる女性皇族が結婚後も皇族の身分を保つよう、典範の一部を改正することになる。現在の皇室の構成は、天皇陛下と皇族方22人。男性皇族方7人のうち4人は60歳を超えている。
また、未婚の皇族女子は、天皇陛下の孫では皇太子ご夫妻の長女、愛子さま(9)、
秋篠宮ご夫妻の長女、眞子さま(20)、次女の佳子さま(16)の3人、
昭和天皇の弟の三笠宮さまの孫にあたる彬子(あきこ)さま(29)ら5人、合わせて8人で、うち6人が成人されている。
宮内庁側は、今後、結婚により女性皇族が皇籍を離れるなどして皇族方が少数になると皇室全体の活動に支障が出ると危惧しており、
羽毛田信吾長官が先月5日に首相官邸で野田首相に直接、女性宮家創設により皇族方の減少をくい止めることが喫緊の課題と伝えたほか、政府高官にも同庁側から説明が行われた。」ネット記事より引用。
この記事からは、その意義を理解しているとは思えません。
>女性宮家創設により皇族方の減少をくい止めることが喫緊の課題。
というのであれば、皇籍離脱をされた宮家を復活する方向で検討すべきです。
マッカーサーの指令で戦後皇籍を離れた宮家は多く残っているはず、
また、その方々の中には今更と考える方もおられるでしょうが、逆に皇室の伝統に対して「大切な事柄」と認識されている方もおられると思うのです。
その様な方々に復帰を願い「男子一系」が守れる環境作りが急務と思えてなりません。
昨年読んだ「陸軍中野学校極秘計画」なる本に皇統護持工作を計った記述を読んだのですが、それに関した記述の一部を紹介します。
この計画の経緯を記述すると長くなりますので皇統を継ぐ人物として選ばれた方の説明だけに留めます。
「勝沼に疎開していた北白川宮道久王・・・・・・北白川の若宮殿下とは、北白川宮家第5代当主の道久王の事で、当時学習院初等科に通う8歳の少年であった。父親の永久王の母君・房子内親王は明治天皇の第7皇女で、昭和天皇の叔母にあたる血筋。道久王は明治天皇の曾孫にあたる血脈であった。・・・・・」この様に旧宮家には「男子一系」継続されている方がおられるのです。
血脈で言えば今上天皇と同じ明治天皇の曾孫です。
追記H24.3.29 「・・・北白川宮家を継いだ成久はパリ留学中に事故で早世。さらに成久継いだ長男永久王も戦時中の飛行機事故で死亡。しかも現在の北白川家の長男道久が継いでいるが、後継男子がいない。戦後の皇太子妃候補としてクローズアップされるが、実現しなかった。北白川家の近代の歩みには、幕末維新当時の能久の悲運が常に影を差しているかのようである。」天皇と宮家より。
私とて戦後生まれですが、多少なりとも記紀、神道、皇室の関わりは知識として持っています。
それだけの知識でも女系は容認できません。
歴史的史実はないですが古事記、日本書紀のその原点が記述され、3000年の歴史を繫いでいるのです。
>寛仁親王が男系維持を希望する発言をした。
との発言があった以降は控えていたようですが。
今回、このような進言をしている所を見ると考えは変えていないようです。
四半世紀も前になるでしょうか、雑誌「プレジデント」に昭和天皇の特集が掲載されたことがあります。
その記事の中で殉職前に乃木大将が昭和天皇に勉強されますようにと渡された本に「中朝事実」と言う本があります。
それは皇統を学べる本です。
昭和天皇は敬愛する将軍から頂いた本と深く思い勉強されたと想像します。それに書かれている事、「皇統」です。
天皇としての「心得」も書かれています。
昭和天皇のお考えに深く影響していると思います。
代々、天皇家「皇祖皇宗の御遺訓」を守り125代男子一系で伝統を守っているのです。
そんな歴史を学んでいない人たちが時流に流され伝統を壊してよいのでしょうか。
「女性皇族が結婚後も皇族の身分を維持できる「女性宮家」の創設について、「賛成」が71.5%に上り、「反対」の14.1%を大きく上回ったことが14日、時事通信が実施した世論調査で分かった。政府は2月から、安定的な皇室活動の維持に向けて、女性宮家創設に関する有識者ヒアリングを始める。国民の支持が高いことが判明したことで、政府の検討に影響を与えそうだ。調査は6日から9日まで、全国の成人男女2000人を対象に個別面接方式で実施。有効回収率は65.4%だった。女性宮家創設への賛否を支持政党別に見ると、民主党支持者の67.8%、自民党支持者の73.0%がそれぞれ賛成した。また「支持政党なし」でも、71.6%が賛成と答えた。
一方、皇位継承者を男系男子のみとする現在の皇室典範制度について、「維持すべきだ」が17.9%、「見直すべきだ」が72.6%だった。」ネット記事より引用。
世論では、女性宮家に対し賛成派が多いと報道していますが、戦後教育で皇統をよく理解していない人達の考えだけでは決められない大きな出来事であることは間違いありません。
「中朝事実」の表紙および目次の写真です。
この本は古本屋から入手しました。
大正13年6月27日発行とあり、版を重ねていて、
私のは大正15年5月1日7版発行とあります。
当時よく読まれたものと思われます。
この本の存在を知っている日本人、どれだけいるでしょうか。
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