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社長 上野 恒暉のブログです

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社長"つねちゃんブログ"

塗膜は何故くっつく

当社は、ホームページでもご紹介している通り、「下地処理技術・下地処理の工程を重視します」と謳っていますが塗膜の付着性、密着性が塗膜性能に大いに関係しているからです。
付着性が大事なのは、塗装後の塗膜性能に密接な関連があり、塗料の性能を支える基になります。
お化粧に例え、説明することがあります。よい肌に、よいファンデ-ションが乗り、上化粧がよく仕上がるという理屈と同じと。

下地処理技術(洗浄、表面調整、化成処理)の大切さを知ったきっかけが有ります。
この仕事について、5、6年たった昭和54年頃、いろいろな塗装トラブルを経験し、それを解決するために塗装技術の専門知識が必要と感じていた頃、日刊工業新聞の広告で「塗装・塗膜クレーム集 発生原因 その対策総合技術資料」という専門書を知りました。確か400部限定で価格が¥80.000円、当時の塗装、塗料に関する専門家達が執筆している事と、紹介されている内容を読んで役に立つと判断し購入を決めました。

当時はまだ、洗浄作業は創業時のままのやり方で作業していたのですが、この本を読んですぐに改善しなければならないと理解しました。通常「前処理」と言われる工程でした。塗装の前の工程なので前処理と呼んでいたのでしょう。

その頃、創業当時からしていた双眼鏡塗装の仕事をもありました。
アルミダイカストで作られた製品で、洗浄の際、オルソを湯で溶かした槽に入れて洗っていました。当然、液はアルカリ性になります。アルミとアルカリが過剰反応するとスマットと言われる粉が表面につきます。スマットと言う言葉を知ったのはその本からでした。度々その現象が出てスマットを取るためバフをかける作業が必要となります。これでは手間がかかり効率的ではありません。
その本に書かれている「アルミニューム用塗装下地処理」の章を読み、スマットを出さない方法はあるのか調べてみました。

その記述を引用して説明します。
「アルミニュームはそのままで良好な耐食性を示すのは、アルミニューム表面が空気中で酸化され、酸化膜を形成しているからである。この酸化膜は、自然発生したものであるから、均一性に乏しく、安定した耐食性に欠け、塗料との密着性も良くない。」

アルミニューム用脱脂剤として
① ノンエッチングタイプ
② マイルドエッチングタイプ
③ エッチングタイプ

の3通りあり用途によっては、表面がエッチングされては支障がでる物もあり、目的に応じて使い分ける必要があることが判りました。
スマット対策として、塗料ディーラーを通じて薬品メーカーを紹介してもらい、マイルドエッチングタイプの洗浄剤を採用しました。主な成分は、メタケイ酸ソーダ、リン酸塩、炭酸塩、キレート剤、界面活性剤です。
結果的にはアルミに対しては、オルソは反応が強く向いていなかったのです。
それを慣習的に使用して、吟味しなかったため起きていた過ちでした。
しかし、この経験が下地処理技術に関して理解を深めるとともに大切さを教えてくれる結果となりました。
また、金属塗装技術を体系だって知識を得なければいけないと思う方向に向かわせたのです。後に、川越本社工場を作るときにこの経験が生きました。

「金属清浄技術」(間宮富士夫著)という文献もその頃に知り勉強しました。目的に応じて様々な清浄技術があることを知りました。
JISにおける清浄方法の種類を参考のため列記します。
① 石油系溶剤清浄方法
② 石油系以外の溶剤清浄方法
③ 汗および指紋除去方法
④ 蒸気脱脂方法
⑤ アルカリ清浄方法
⑥ 乳剤清浄方法
⑦ 電解清浄方法
⑧ 蒸気清浄方法
⑨ 超音波清浄方法
⑩ ブラストによる清浄方法
⑪ 液体ホーニングによる清浄方法
⑫ 酸除錆方法
⑬ アルカリ除錆方法
⑭ 電解除錆方法

当然ながら、経験的に清浄度が高ければ高いほど、付着性は良くなることを理解していましたが、「塗膜は何故くっつく」と付着に関して知りたくなり、理工出版「塗膜の付着・そのメカニズムの理論と解説」(佐藤弘三著)と言う本を見つけました。

「塗膜は何故くっつく」結論から言えば、まだ解明されていないようです。
ただし、いろいろな諸説があるので紹介します。
序言に付着に関してこう述べています。
「塗膜の付着性の良否は塗料の商品価値を左右する大切な性質である。付着は物体の界面で起こる現象であり、その中には液化、流動、拡散、濡れ、付着、固化、変形、破壊という多くの素過程が含まれている。したがって、付着に関係ある分野は高分子化学、界面化学、材料力学、レオロジーなどのほかに、固体表面に関する情報も必要であるなど多岐にわたり、付着は境界領域の科学技術である。」
付着の理論の章に説が紹介してあります。
詳細な説明は省きますが、
① 投錨説
② 界面化学理論
③ SP理論
④ 拡散理論
⑤ 静電気理論
⑥ レオロジー理論
⑦ WBL(weak boundariy layer)理論
などが上げられていました。

著者はどの説が付着に関して解明しているかは断定していません。
他の記述でこう述べています。
「強い付着を得るためには、界面張力または混合のエンタルピーが、極小のゼロになるだけでなく、負の結合力(強い相互作用)のある系を求めることができれば、そのときには付着強さは、極めて大きいものが得られるはずである。実際には、付着は複雑な素過程を有しており、そのためにはぬれの問題、レオロジー的因子やWBL生成、内部応力の発生など多くの要因についても、考慮しなければならない事は言うまでもない。」
私にとって難解な面もあるのですが、諸説が絡み合って付着が生成されると理解しました。
塗装技術に関しても関心を持つようになり、塗装に関するセミナーが有ることも知り、数回セミナーに参加したこともあります。
「コーティング工学」と称して行われ、講師が原崎勇次氏でした。教材には講師が書かれた「コーティング工学」が使われていました。
記述は学術的で難解な面があり学生時代の不勉強を後悔しましたが、それなりに受けてよかった面もありました。塗装の仕事にかかわる技術者も来ており、その方々の質問が参考になりました。例えば光学関連の方は、ディッピングでレンズのコーティングが可能かなど、その質問には新鮮さを感じたものです。
当社の場合、当時塗装方法はエアースプレーを採用していましたが、このセミナーでは様々なコーティング方法を紹介していました。
当時、私には耳慣れない言葉でしたが、例えば、ロールコーター、カーテンフローコーターなど、ぬれ性が塗工剤(塗料と言わずこの表現を使っていました)に重視される方法なども知りました。製品形状により効率的で様々な塗装方法がとられていることも。
この講師が付着に関して、説明をしてくれた言葉が印象的でした。
付着の構造を解明したらノーベル賞ものだ、しかし、解明してもメリットがないために取り組まれていないと。
なるほど、そんなものかと納得した経験があります。

塗装の仕事に従事して36年がたちましたが、自動塗装機の開発、改良などにかかわりながら、品質向上に取り組んでいました。
先ずは、付着性を良くすることが塗膜の品質保証に繋がると現場的体験から学び、下地処理で一番大切に思ってこだわっているのが、微細にエッチングさせる技術です。様々なダイカスト製品は鋳造メーカーにより汚染状況が違ってきます。それに対応できる前処理ラインを構築することも当社の技術目標なりました。いろいろなダイカスト製品を扱い、その度いろいろなトラブルを克服することでノウハウが蓄積されていきました。現在は前処理ラインでは亜鉛ダイカスト、アルミダイカスト、Mgダイカスト、アルミ押し出し材などに対応が可能になりました。

塗膜の付着性を高めるには、エッチングで単位あたりの表面積を増やし接触面を大きくすること、清浄度を上げ適切な化成皮膜をのせて浸透してくる物資に汚染されないようにすることが下地処理技術の基本となりました。
当社の化成皮膜はノンクロームタイプを採用しています。<<お知らせ>>で紹介しているように、アルミ板に塗装し3価クロメート皮膜より1000時間連続塩水噴霧試験では良いことを立証しています。これなども付着性の違いによるものと理解しています。
ただし、塗膜と複合して性能は発揮されますが化成皮膜単体では劣ります。
付着理論は解明されていませんが、経験と工夫で付着性を向上することが出来ました。

ある新聞記事を読んで <続編>

今回の経験で更に新聞報道の仕方に疑問を持つようになりました。
最近では、朝日新聞の鳩山法務大臣に対して「死に神」報道、コラムでしたが揶揄するだけの印象と新聞側の傲慢さを感じていました。
中山国交大臣の問題提起した発言の表現(用いた言葉が良くない)だけに注視し失言と決めつけ、見識者といわれる御仁のコメントを掲載するだけで終わりにしてしまいました。
私から見れば、中山大臣の発言の中で、教育の根幹的問題の提言もありましたから、これから更に論争されるべきと感じていました。
しかし、それっきり、何かがおかしい。

そしてその思いが、再び、「教育長が酔って暴行」9月13日、17日の記事掲載について毎日新聞西支局に問い合せをさせる気持ちになったのです。
知り合いの方、3人からブログの感想文も寄せられていました。
ブログ文末に感想を聞きたいものと結語して置いたからです。
その方々も、私の見解に賛意を示す形で感想文を書かれていました。
それぞれの感想文を要約すると、
○取材の仕方、事実報道をしなければならない立場にいる者が誤認していること。
○教育面で現場の教師が、体罰、躾と言う狭間で悩んでいる。
○ 日本人の道徳の低下
○ 地域ぐるみの子供の教育が出来にくくなっている。
などでした。
私自身、事件の扱い方に違和感を持ち、払拭しきれずモヤモヤしていたことも、
その動機となっています。

新聞社から見れば一事件として扱ったのでしょうが、当の本人は教育長として職業上の自覚、人柄から成せる善意の行動です。記事にその配慮がなく皮相的な記述となっており、それが許せません。
県警からの又聞でなく、記者が直接、当事者(教育長、飲酒と喫煙をしていた少女、反抗した若者、未成年の少女に酒を飲ませたであろう居酒屋の店主)から取材をして生の情報から記事を書く姿勢と見識があればあのような見出しにはならないと思います。
教育長に直接、取材していれば人柄が理解でき、注意した行動の背景に彼の人生観が垣間見られたはずです。
そのような取材であれば「教育長が、酔って暴行・・・」とは書けるはずがないと思います。

教育長の名誉のためにも、居合の友人が教えてくれたエピソードを紹介します。それは、教育長の立場で成人式に参列した時、ある青年が歩み寄り教育長に感謝したのです。「あの時、教育長から注意を受け目が覚め、自分を反省して立ち直り、大学まで行く事ができました。有難うございました」と。
普段から、喫煙、飲酒をしている未成年に気付けばその度、注意をしていたのです。
今時、とても大切な方と思う反面、記事でその職から辞さなければならなくなったのが悔しいのです。

西支局に電話で問い合わせをしたところ、なかなか繋がらず、待っていると転送され電話が繋がりました。
電話に出た方に、姓名を名乗り問い合わせの主旨を告げ前回電話に出られた方を電話口に出して下さいとお願いしました。
電話が転送されているので本人は不在と思いますとの返事でした。
出た方に、問い合わせ内容を答えて貰おうと、名前を聞きました。
Kと名乗りました。記事を書いた本人だったのです。
内心「シメタ」と思いました。
なぜなら、前にも述べましたように新聞社は記事を書いた本人には問い合わせに対し対応させない事になっていたからです。
先ずは、世代確認と思い、年を聞きいたところ、29歳と答えました。
なぜ聞くかと言えば、時代背景から価値観構成がある程度、推量できるからです。

次の質問をしました。
『9月13日の記事と17日の記事の内容が違っているが、17日の記事が正しければ、13日の記事は事実誤認しているのでは。』と。
返事は取材の結果『17日の記事内容となりました』と来たのです。K記者の気配から、なぜいけないのかなと言う雰囲気が電話から伝わりました。
私はつかさず、『それじゃー、13日の記事は誤認、誤報となるでしょう。テレビでも間違えた場合、訂正とお詫びを入れますが、どうするんですか』と聞きました
更に続けて、『教育長、この方前々から良かれと思い、このような注意を日常的にしていたのですよ、注意された本人が悪いのに逆らう事自体おかしいでしょ。真夜中一時まで遊ばせている親の保護責任、未成年の少女の酒を飲ませただろう居酒屋の責任は、未成年の少女の飲酒喫煙はどうなんだ』と言いました。
このような抗議を受けることは予想外だったのでしょう

返答は『・・・』です。
更に私は続けて聞きました。
『なぜ返事をしない。記事を書いた本人だろ、まして記事に署名をしているのだから見解を話す責任はあるだろう』と。
返答はこうです。『署名入りの記事でも、社として書いた記事ですから』と言い逃れるのです。
私は『記事が誤認である以上、訂正とお詫びをすべきでは、また13日の記事を全国版で記載し、正しい方の記事はなぜ埼玉版なのだ』と質問しました。
K記者が言うに『記者としては、返事しかねます。改めて担当者から返事します』と言うので、これ以上埒があかないと思い、こちらに電話をくださいと、
電話番号、社名を告げました。
最後に『以前、さいたま支局に問い合わせをした時、後日連絡をしますと言いながら、連絡がなかったことがあった。新聞社としての役割を考えれば不誠実だろ、今度は無い様に』と言って電話を切りました。
多分、今度も回答は来ないように思えます。
何故なら、ここ数回の記事の問い合わせに対して、電話に出た方々、4名ですが、困惑している様子が、伝わってきました。記事についての問い合わせに対しどのように対処するか、支局の方々に無い様に思えるからです。

この記事を書いた記者、29歳と若くジャーナリストとしてどうあるべきか考えを持ちながら仕事をしているとは思いますが、正確な取材をしなければならないという強い思いは、記事からは読み取れません。
新聞ネタとして、面白いぞと言う程度で書いたように思われます。
私の詰問に窮したことから、記者としての認識の甘さを露呈した感じがします。

最近、テレビ、新聞など報道メディアのあり方に対し、関心が高まっているのか、本屋で「ジャーナリズム崩壊」と言う本を見つけ、私自身今回の経験も手伝って興味を引き、購入しました。
内容は、欧米と日本の新聞記事の書き方、取材の仕方との違いから、日本のジャーナリストは、ジャーナリズム本来のあり方にすべきと書いています。
違いとして、記者クラブ制度による取材の閉鎖性、記事掲載責任の不明瞭、新聞社取材の横並びなど、がありました。
今回の問い合わせでも、署名してあったので、K記者に記事について質問した時、「署名しても社として書いた記事なので」と言い、説明をもらえません。
著者が言う、記事掲載責任の不明瞭がそれに該当するのでしょう。
ただ、記事に署名している新聞社は毎日だけと書いてありました。
また、クレジットと言う言葉がありました。こう説明しています。
「例えば、記事中の引用にクレジット(引用先)を打たないのは、日本のメディアだけである。それは悪しき商慣行であり、海外ならば即刻、訴訟の対象になるであろう。」
毎日新聞は県警からそのニュースソースを聞いており、記事のクレジットを明記すべきなのでしょう。
記者クラブの存在が、外国人記者、フリー記者の取材を阻む壁になっているも書いてありました。

その本の中で、朝日新聞 鳩山法務大臣「死に神」報道に触れ、問題点を指摘しているので長くなりますが引用し紹介します。
朝日新聞『素粒子』の(死に神)報道2008年6月、朝日新聞は、死刑執行を繰り返す鳩山邦夫法務大臣についてこう記した。
永世死刑執行人 鳩山法相。「自信と責任」に胸を張り、2ヶ月間でゴーサインを出して新記録達成。またの名を、死に神(夕刊「素粒子」2008年6月18日付)
翌19日、鳩山法務大臣は記者会見の中で、すぐさま反論し、自分は「死に神」でないし、そうした記述は「執行された方に対する侮辱だと思う」と激しく抗議した。
これを受けて、朝日新聞には1800件を超える苦情が押し寄せる。当初、「とくにコメントはありません」としていた朝日新聞だったが、あまりの反発の多さに弁解に追われることになる。
鳩山法相の件で千件超の抗議をいただく。「法相は職務を全うしているだけ」「死に神とはふざけすぎ」との内容でした。
     ×        ×
法相のご苦労や、被害者遺族の思いは十分認識しています。それでも、死刑執行の多さをチクリとさしたつもりです。
     ×        ×
風刺コラムはつくづく難しいと思う。法相らを中傷する意図はまったくありません。表現の方法や技量をもっと磨かねば。(夕刊「素粒子」2008年6月21日付)※ 私は、この記述にとても新聞サイドの傲慢さを感じるのです。果たしてこれが、「訂正」と言えるだろうか。謝罪の言葉は一切なく、「風刺コラムはつくづく難しい」と他人事のように感想を述べているだけに過ぎない。
さらに、表現の方法や技量をもっと磨かねば」と書きながらも、懲りずに「法相のご苦労」と話している。「ご苦労」とは、主として目下のものに対して使う言葉であり、また、他人の無駄な骨折りを嘲る意味にも使われることをこの記者は知っているのだろうか。
なにより問題なのは、これだけの騒動が起きてもなお、自らは安全な「匿名」の世界に逃げ込んだままで、一切正体を明かさないこの記者、及び朝日新聞の姿勢である。
果たして、こんなコラムをコラムといえるだろうか。そもそも無署名でのコラムなど許されるわけもない。仮に海外の新聞でこうしたことがあったら、逃げずに訂正するか、もしくは表現の自由を賭けて徹底的に論争を挑むであろう。いずれにしろ、中途半端なのである。」
私も著者の考えにまったく同感です。匿名にして名を隠す態度は卑怯です。

テレビ報道で橋下知事の討論会を見ましたが、彼が真剣に教育問題などについて話している最中、語気が強くなっていた状況をテロップで「キレる」と表現していました。
私から見れば、熱意が強い分だけ声が大きくなっているだけで感情に乱れはなく、言葉にはしっかりとして筋は通っている。それをなぜ「キレる」と扱うのか、私にはテレビ報道する側のからかい、揶揄としか思えません。
何か、思想的信条だけで、状況を観ているように思われてなりません。

毎日新聞の記事を読んだ時、記事に書かれた方が知り合いだったことが、書き方に不審を抱く結果となったのでしょう。これが知り合いでなければここまで記事について関心はもてなかったと思いますが、今後は報道メディアに対し、聞く側、見る側は見識を持って臨む必要を感じた経験でした。

記事の写真を掲載しました。

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ある新聞記事を読んで

9月13日朝、娘が新聞を読んでいて、『お父さん、知り合いの人が記事に載っている』と私に呼びかけたのです。
すぐ、その記事を読むと見出しに「教育長が酔って暴行 辞意表明 少年?の飲酒、喫煙を見て」とありました。記事掲載は9月13日毎日新聞朝刊でした。
その方とは、居合を通じてお付き合いをさせて頂いた経験もあり、人となりを理解していたので「そんなはずはない」と頭を過ぎりました。
見出し写真
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記事を詳しく読んでいくと、記事の一部に「市内の飲食店で未成年らしい男が飲酒と喫煙をしているのを発見。注意しようとしたところ、別の若い男が挑発したため平手で殴ったという。教育長も酒に酔っていたらしい。殴られた若い男が県警に被害届を提出したが示談が成立したという。○○市長は「要職にある人間がこのようなことを起こし、残念」と語った。」

この記事を読む限り、その人の職業上の自覚から注意した行為だと思うと同時に、注意された若い男の仲間が平手打ちを食らったからと被害届を警察に出したことに意外な感じを受けました。注意を受けた仲間の行為を反省せず、挑発するとは筋違い、そんな事を大人にすれば誰だって間違いをたしなめるのが普通だと思います。だから、拳骨でなく平手なのです。子供の頃、悪さをして抓られた経験がありますが、今時、抓っても暴行なのでしょうか。

見出しに「酔って暴行」とあり教育長に非が一方的にあるような印象を持ちますが、非は「少年?」にある様に思えるのです。何故なら未成年がしてはならない事をして法律、ルールを守っていないのですから、まして注意されて反抗的な態度をとっているのです。
見出しについて触れたいと思います。
私が書くとすれば次のように記述します。
教育長、未成年の飲酒、喫煙を見て注意、反抗したため平手打ち」
記事の内容から判断してこの記述のほうが記事の実態に沿っていると思います。
後日、西支局の担当者に伺ったところ、記事、見出しは分業になっており、編集担当者が見出しを考えるそうです。
注目を集めようと、衝撃的な見出しにしている意図が見えます。
改めて見出しの書き出しを見ると「教育長が酔って暴行・・・・・」次に書かれている文字より大きく目を引くようにしています。これだと酔っ払って乱暴したようにも取られます。

注目を集めようと考慮することにはいささかも反論はないのですが、記事の実態からかけ離れる見出しは如何なものか。
この記事を読んだ方には、私の見解を理解してもらえると思うのですが。

その日の午後は、奄美民謡の稽古日で稽古の最中、記事が気になっていました。
記事について誰かと話を持ちたいような気持ちになっていたので、教育長の人となりを知っている人と会話しようと思い立ち、稽古後、教育長がたまに利用している居酒屋へ立ち寄ることにしました。
店に入り、早速お上さんに記事のことを話しました。見出しの記述を話すと憤慨していました。
「酒を飲んで、乱れたり、理性を失うような人でない」「今時のご時世で見てみぬふりをする人が増えている中、彼らしい立派な行為」だというのです。
その発言に私も納得です。

今も付き合いのある居合仲間に、記事が載っていることを連絡しようと電話を掛けました。彼もその記事を読んでいました。同様に記事の記述には不満だった様です。私は新聞社に問い合わせをするつもりですと話し、電話を切りました。それから暫くして彼から電話が入りました。新聞社のさいたま支局に電話をしたというのです。すぐ行動を起こしたことに驚きましたが、彼自身も記事の扱いには相当不満を持っていたのでしょう。彼が言うにはニュースソースは県警から出ており、直接の取材ではないことがわかりました。彼が問い合わせで強調したのは未成年が飲酒、喫煙したことが悪いということでした。平手を打たれた位で被害届けを出すこと自体もおかしいとも言っていました。
私は彼に支局の電話番号を聞いてメモを取り、すぐに電話をする気になりました。
そばにいたお上さんも電話をするから私に教えてと言い、番号を書き留めていました。

次の日、会社に用事があり、会社からさいたま支局に電話を入れました。
9/13の記事について詳しく知りたいので、担当記者に取り次いで欲しいと申し出ました。決まりで取次ぎはできないというので電話に出た係の女性に質問しました。
見出しの記述の仕方、記事から読み取れる少年?の素行の悪さ、非は少年にあるのでは、少年の後に「?」を入れて曖昧なままで記事にしていいのか、教育長はその記事で辞職に追い込まれたなど。
彼女の返答は、暴力行為が良くなかった、少年にも非はあるが、意図的に辞職するような書き方はしてない、などでした。
終わりに彼女は担当でないので、詳しく担当者から聞いて後日連絡しますと言い電話を終わりました。

数日たっても、連絡がないのでこちらから、さいたま支局に電話をいれ、返答が無い旨を話し、係の女性の名前をだし取り次いでもらおうとしたのですが、本人が不在で、出た方がその記事を書いた記者の所属は西支局なので、そちらに電話をして下さいとの返答でした。

番号を聞き、すぐ西支局に電話を入れ記者の名前を言い、取り次いでもらうとしたのですが出来ませんというので出た男性の係の方に記事について質問しました。
前回とほぼ同様な質問をしましたが、基本的には暴行を働いたことが致命的だというのです。私が、それは違うだろと反論し、この事件の発端は少年でしょ。
彼らに「非」があり、教育長は指導をしているのですよ!となど言いましたが、
暴力を振るうことが良くなかったと基本的に同じ論調でした。
更に続けて、9/17付けの新聞に改めて記事にしてあるので読んでくださいというので、読んでみますと電話を切りました。

早速、家に戻りその記事に目を通しました。
記事を引用しますと次の内容です。全文はやめ一部の記述に留めます。
見出しはこうです「教育長辞職を報告 市長、議会で謝罪」
実名は避けて記事を記述しました。
「・・・・・・中略・・・・・N氏は7月19日午前1時ごろ、市内の居酒屋前の路上で、未成年の少女ら数人が酒に酔った様子で騒いでいるのを発見。『早く家に帰りなさい』などと注意したが、少女たちは反論したうえ店内に入って行った。N氏が少女らを追って店内に入った際、出てきた男性3人組を少女らの仲間と思い込み、『未成年に酒を飲ませるな』と注意。しかし、男性たちと口論になり、うち1人の左ほほを右手でたたき、1週間の軽症を負わせたという。・・・・・・中略・・・・・」
記事を読んだことを知らせるため、次の日すぐ西支局に電話をして同じ担当者に読んだ感想を話しました。
記事の様子から、未成年に酒を飲ましていたのは居酒屋と思われるが処分はどうなった、飲酒した少女の処分は、1時の真夜中まで遊ばせていた保護者の義務責任は、などを話しました。その件の事実確認はしておらず判らなかったようです。
今時、平手ぐらいで被害届けですか、こんな調子だと学校の先生は教導しづらいのではと問いただすと、そのような風潮はあり先生も生徒でも同じ目に遭うと被害届けを出すようになっていますというのです。それじゃどうやって指導、教育をするのと聞くと、ただ、ただ、言葉で言い聞かせると言うのです。
それだけで躾が出来ますか、人間として成長過程にいる子供は理解しますか、
我儘が出たらどうします。私は続けて、こんな状況で教育はどうなるのですかと聞くと、返答に困る感じでそれが今の風潮ですと諦観しているように受け取れました。

記事に間違いがありました。13日付けは「未成年らしい男」となっていますが、17日付けでは「未成年の少女」です。記事の記述もかなり違っています。
ケースバイケースと思いますが、記者が直接取材するのでなく、又聞での取材のため起きたミスだと思います。新聞記事の誤報は些細なことでも良くないのでは。

新聞社、「社会の木鐸※」と標榜している(今はどうなのか?)以上、青少年の教育指導が機能しなくなっている社会に警鐘を鳴らすのが使命と思うのですが、今回のこの事件このような扱いでいいのでしょうか。社会的視点から見ても、職業上、責任、義務感を持っての行為です。この事件を起こした原因は、注意を聞かなかった少女にあるのです。公平性が欠けていて私は納得できません。新聞社の方は暴行したことが致命的だと言うが、社会正義を実行した方がこんな形で職を失い、人生が狂ってしまいました。記事は暴力を振るっていませんが、結果的に「ペンの暴力」になっていないでしょうか。
※ 木鐸(ぼくたく) 意:世人を覚醒し、教え導く人 広辞苑より

結びに、当社の計理士が呉れた資料の一部を引用し終わりにします。
タイトルは「江戸しぐさと商人道」出典:佐藤なな子女史文書
「・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・店(たな、企業)に入れば、生き方からコミュニケーションまで手取り足取り教え込まれる。江戸時代は、地域ぐるみで子供を育て、一方的に教えるのでなく、『背中を見せて真似させる事』が基本だったのです。江戸と現代では、時代が違いますが、学ぶべきところは大いにあるに違いありません。経営者(上司、先輩)として上に立つ人間として『自分のしぐさ』『自分の背中』をどう見せていくのか。そして社会の一員として、次世代を担う人達を育む事に、どう取り組んでいくか・・・・・・・」

地域社会ぐるみで青少年の教育指導のコンセンサスは、最近まであったように思います。
今回の教育長のあり方はその精神の継承による行動と思います。
「社会の木鐸」さんに問う!!!
・・・大人が少年少女に注意する当然な行為が事件になってしまう社会をどう思いますかと。・・・

当社に訪れた生命保険会社の方に、この文章を読んでもらい感想を話してもらいました。
○ 見出しの書き方は、大きな見出しだけしか読まない人がいれば、誤解を生むことも。
○ 社会正義を貫いているのに、この記事の書き方では注意したほうが馬鹿を見る
○ 見聞談として、会社の研修会に赴く時、バスの中、大声でおしゃべりをしている女子高生に注意した60歳ぐらいのおじさんは「ウザイんだよ」と口答えされた。
このブログを読んだ方の感想も聞きたいものです。

角界の一連の事件で感じたこと

今月は、何度もブログを書いていますが、私にとって気になる話題ばかりなので。
朝青龍が巡業をすっぽかし母国でサッカーをしていたことから仮病だといわれた事件がありました。相撲協会は罰として二場所の出場停止を与えました。
この一件から高砂親方と弟子である朝青龍の師弟関係がいろいろと取り沙汰さたされました。親方の指導がよくない、朝青龍が親方をなめているなど。

以前、行状が悪く親方の奥さんに暴力を働き角界を去った力士がいます。この力士双葉山と羽黒山から四股名を貰って、双羽黒としたくらい期待されていたのですが行状の悪さが原因で辞めたのです。
この頃は、上下関係、縦社会の秩序もあったのでしょう。その自覚をその力士も持ち合わせていたから辞めたのだと思います。そんなことをしたのではと居られないと。
しかし、高砂親方と朝青龍にはそのような関係があるとは思えないのです。今の朝青龍の行動を見ても。
はっきり言えば親方の監督、指導に問題ありと言っても弟子である方が言うことを聞かなければそれも出来ません。
記憶が定かではないのですが確か、高砂親方が部屋を継承した時、相撲を指導するにあたり自主性を重んじた方法をとるといったことを記憶しています。
彼は確か近大相撲部出身で角界に入りました。大学時代の相撲部で経験したことの反動が、そう言わしめたと推測します。
当時の大学の運動部のほとんどは縦社会、上下関係は厳しいのが当たり前でした。
しかし、それが監督指導できなくなった一因だと思います。だから横綱として振舞えと言っても「我」が出てしまうのです。
「自主性を」と言うと聞こえはいいですが、年齢的にはまだ成人していない者を指導するのですから。

次は昨年起きた時津風部屋のシゴキでの死亡事件でした。横綱の範と言われている大横綱双葉山が興した部屋で起きたのです。なんとも痛ましい事件です。残念です。
我々の学生時代の運動部でもこのような事故は起きています。様々な面から再発防止をしなければいけないのだと思いますが、ちょっと気になる話があったので、それに触れたいと思います。
相撲は挌技です。厳しい稽古を通して、頑強な身体を作り、激しくぶつかる立合いにも耐える身体でないと相撲は取れません。
昔、大学生の頃日本で撮影された「007ジェームスボンド」の映画で大相撲を観戦するシーンがありました。確か撮られてた力士は琴桜の取組だったと思います。砂かぶりで相撲を見たことがない私にとって、立合いで頭がぶつかる瞬間「ごっつん」と音を聞いた時その凄さに驚いたくらいですから。

基礎訓練の股割り、四股、鉄砲、擦り足で基礎体力をつけ、土俵稽古で技を身に付けていきます。その過程で、稽古が苦しくなったりして自分に「甘え」が出てそれを乗り越えなければならない時、本人を奮い立たせる「愛のムチ」が必要な時もあります。
稽古の時、竹刀が使われています。今回のその事件で稽古場には竹刀を持ち込まないようにと話がでていたのには短絡さを感じました。
相撲は、土俵に立ち、命がけで相手を倒しに行くのです。
闘争心、勇気、頑張りなどの精神性を作っていくには必要とは感じるのですが。
マスコミなので、見識者と言われる人たちが意見を言いますが、鍛錬し強くなる過程を経験したことがあるのでしょうか。あれば己の甘えに克つ難しさもわかり、手助けの必要さはわかるはずです。

叩いて、奮い立たせ、心を強くさせる作用もあるのです。
見た目、暴力的な印象を持ちますが、それは稽古する本人の自覚の問題です。
「厳しい、シゴキ」はイコール「悪」という短絡的な批評はしないで欲しいものです。
厳しさ、辛さは「己の心」と対峙させる機能があります。
対峙した時、「甘えの心に、克たねば」と思うことが心の稽古にもなるのです。

相撲界で大麻事件が起きて、北の湖理事長が辞任という事で決着し新理事長、武蔵川親方が改革の任にあたる事になりました。
大麻事件では、親方の監督指導責任が問われる事となりました。
その対策として「指導マニュアル」を作成すると新聞記事にありましたが、
記事の一文に、「子供の頃に、親が教えるようなことまでマニュアルにするのか」などと嘆きともいえる文面がありました。
そんな状況では、指導する親方までが子供扱い。
皮肉ですが、だったら、相撲協会もISO9000の認定でも取ったらと言いたくなります。

しかし、それはある面、日本の現状で、家庭での躾が出来ていないこと、それと2,3年位ですぐに入幕する外人力士が増えてきた事が原因でしょう。挨拶、生活作法、長幼の序などほとんど常識的な事柄ばかりがマニュアルに取り上げられているのでは。読んでみたいものです。
そのためにマニュアルを作って、再確認をしなければならないほど、タガが緩んでいるのだと思います。

相撲社会は、縦社会であり番付がすべてです。厳しい指導、稽古によって番付が上がり、それによって鍛え育まれた人格が秩序を支え構成されていましたが、時代の変化、ここ最近の外人入門があってから壊れてきたようです。

話が変わりますが、一連の事件で北の湖理事長が「責任は親方にある」といい続けてきたことが、元小結竜虎がテレビで説明した話を思い出して理解できました。
説明はこうです。「相撲協会の理事長職は商店街の会長と同じ役割」。
北の湖は三保ヶ関部屋に入門し、横綱まで登り詰め大横綱と称される強い横綱です。中学での入門です。他の社会の経験を持たず、12,3歳で相撲社会に身を置き育ち、親方を親と思い、言いつけを素直に守り厳しい稽古にもひたむきに耐えてきたのです。その過程で、三保ヶ関親方を見て相撲社会の親方の役割を学んでいたのでしょう。部屋の全ては親方にある。だからこそその発言があったと思います。
竜虎が言うように、商店の経営は店主にあり、経営一切の責任を担っています。
だから、「親方の責任」と発言したのだと思います。
いろいろとその対応を先送りと非難されていましたが、今、私はそう思いません。彼が学んだとおり律儀にその考え通り、押し通したのです。一途な性格と思われます。
お疲れ様でした。

しかし、これから相撲協会はどのように改革したらよいのでしょう。
前にも言いましたように相撲を「髷を結い、花道があれば芸能」と言い残した池田弥三郎氏の言葉がヒントになります。日本の文化として考えれば、土俵で相撲を取る姿勢に、竜虎が言ったように精神の根底には武士道精神がなければなりません。
思いつくまま記述します。
生々堂々と、卑怯な振る舞いを慎み、勝っても相手の心情を思いやり、ガッツポーズをとらせないように教えること。最近それがわからない外人力士がいます。
様式美を常に忘れないよう指導する。髷がある以上、それにあった服装、仕草を守らせる。伝統的所作を再認識させる。
マスコミが取り上げて、朝青龍が髷をポーニーテイルにした写真が問題になりましたが、禁止されている行為です。注意指導に当たります。横綱があれではいけません。
批評する側に容認する発言もありましたが、伝統を守っていく上で安易な妥協はいけません。
変えて良いもの、悪いものしっかりと弁別しないといけません。
懸賞金をうけとる際にも、賞賛に対して感謝の念をこめるように。
力士の士はサムライを示す、生活面でもそれに習い、教育する。
例えば、北の湖が現役時代、勝って、土俵下にいる負けた力士に対し手を差し伸べ土俵に上げる所作を北の湖は敢えてしませんでした。彼はその行為(優しさ)に対し「相手にとって屈辱と感じるのでは」と配慮し行わなかった。これなどサムライらしい配慮です。

外人力士をどうするかが当面一番の課題でしょう。
相撲協会は外人に頼っていては、日本文化としての相撲継承できなくなると反省すべきです。
それよりも、ゴルフで成功している例を参考にして少年に相撲を普及させる対策を検討すべきです。相撲自体体育的面で言えば、勇気、集中心、などの精神面での育成には効果があることをアピールしていくべきです。
そのためにも、本場所は減らしてでも、地方巡業を増やして生の相撲を多くの人に見てもらい良さを知ってもらうことです。
新理事長、武蔵川親方に期待する所です。

また、また、また出た食品事件!

9/5、ニュースで、大阪の米加工販売会社「三笠フーズ」が工業用に限定された「事故米」を食用として転売していたと報じた。
タイトル通り、「また、また、また出た食品事件!」
ふと、思うことは何故食品業界に多く出るのだろう。

最近、建築業界ではマンション耐震偽装事件があり、購入者にとっては一生問題として残っている事案だが、更に深く調査すれば、耐震不足の建築物は存在しているのかもしれない。

それにしても雪印乳業の事件から、食品業界は、偽装、不正、が毎年のように出てくる始末。
今年に入り、食肉加工偽装、中国の毒入り餃子、うなぎ産地偽装、など。
今年上半期(1~6月)に全国の警察が食品の産地や品質の偽装で摘発した事件が9件、29人となり、過去最悪だった2003年(11件、45人)を上回るペースで増えていることが4日、警察庁のまとめでわかったと報じています。
農林水産省の杜撰な検査など、現状認識の甘さも指摘されています。
役所仕事、法律の不整備、等の問題だけではない事件と見直すべきです。

食品業界に携わっている人達が、食品業界に身を置く人としてどうあるべきか垣根を超えて指導者にある立場の方々(例えば、組合の長、会社社長)が、業界全体で参集し反省すべき時期に来ているだと思います。
何だかんだといっても、問題を起こしているのは「人」です。それもその組織の長です。
「公」社会に対しての業界の使命、責任の再認識です。社会的責務を忘却しているからだと思うからです。
そう思う背景に、小学校の先生に言われた言葉を思い出すからです。
最近10年ぶりに、先生とお電話で会話をする機会に恵まれ、その時いろいろとお話させていただきました。教育について「質の低下、問題解決する能力が落ちている」の見解を述べた時、先生は寂しそうに「今の教育では」答えました。
具体的面はどの事なのか私は詳しくわかりませんでしたが、本で読んで知っていた知識からなんとなくわかったような気がしました。
知識詰め込み主義になり、創造力、解明力、観察力を育てる理科、図工、音楽どの授業がないがしろにされているのではと。
他に、先生が言われた言葉で印象に残った言葉が「自由、平等を履き違えた」です。先生はこのことが大きな誤りだった言われました。
今度の事件も、根はここにあるような気がします。「自由、平等の履き違え」が進み、自分さえ良ければという「我儘」が育ち、社会的責任、使命を忘れさせたのでしょう。
でも戦後の風潮を想像するとそれが潮流となり社会は動いたのだと思います。例として、戦前では考えられない「裸踊り、ストリップショー」が公衆の面前で演じる事が容認されました。
それも、自由の風と戦後の大人たちは感じたのでしょう。

子供の頃「自由、平等を履き違えた」はよく耳にしていた言葉でしたが、今はその通りと確信を持って理解しています。「公」に対しての責務を教えず、自由で、平等だといって日本は利己主義になりました。自分の都合優先で、他へ思いやる心がない風潮にあります。
戦後教育で、教育の3本柱「知育」「徳育」「体育」の「徳育」が十分果たせなかった点も見逃せません。
私、「道徳」の時間があった事は記憶にありますが、何を学んだかよく覚えていません。

高度成長を続けた昭和30年後半から、知らず知らずに金儲け優先のエコノミックアニマルと言われる日本人になっていました。外国の人か、誰が言ったかわかりませんが、明らかに侮蔑の言葉です。
それもさほど、意に介さず今日に至っての食品業界の不正、偽装、詐欺事件。
食品業界に限って、そんな人材がおおいのでしょうか、一連の事件すべて金儲け主義優先の会社経営です。
しかしたまたまの偶然のような気もします。だた、目立っているだけと。
「公益」を忘れた会社は、いろいろな業種にでも事件を起こしています。

報道する側のマスコミ業界の会社でも同様な、捏造、やらせの偽装番組、社員の破廉恥行為などの事件、公平さを欠いた偏向報道など報じられています。
やはり、根は一緒の感があります。

この一連の食品業界の事件、日本国、日本人に警告を発しているように思えます。

<追記>
このブログを書いた次の日、9/9のテレビニュースで三光フーズが海産物、えび、ホタテ、刺身など消費期限を偽り使い回しをしていたと報道。
何故、何故と思わざるおえない。
ただ、賞味、消費期限は前にもブログで取り上げましたが、この件は流通の仕組みなど再考しなければ、まだまだ起きてくると思います。
現実に食することが出来るから。
すし屋さんに聞いたことですが、鮮度が落ちれば煮物、焼き物、炒めものと調理によって充分食材として使えるものなのです。

最近の出来事(拉致、辞任、相撲)について

アフガニスタンで邦人が拉致されたとニュースが流れました。また拉致かと頭をよぎりました。
詳しくニュースを知ると、ボランティアで農業技術指導をしている青年、伊藤さんと言う方。彼の安否情報が錯綜し、テロ組織タリバンの仕業か、生きているのかなど報道される中、8月27日遺体で発見された。
報道によれば、失血死との事、背後から機関銃で連射され左大腿部の大きな負傷が死因と告げていました。痛ましい事件です。
捜索には現地住民、1000人を超える村民が参加して彼を探していたとの事。
ニュースで知る限り、彼の仕事振りに現地の人は敬意を払い尊敬の念を持って接していたようです。
わかります。ボランティア自体、「利他の念」が強くなければそのような仕事に付きません。また、おそらく人柄も良く真面目に仕事に取り組んでいたことは想像できます。真面目な仕事ぶりは国境を越えても評価は同じです。
このニュースでそのような活動をしている団体NGO「ペシャワール会」を知りました。彼、青年伊藤さんの入会志望の文章を読むにつれ、彼の覚悟、志の大きさを知るほど無念なことと感じます。

それを示す文言がありました。
『私が目指していること、アフガニスタンを本来あるべき緑豊かな国に、戻すことをおてつだいしたいということです。これは2年や3年で出来ることではありません。』
覚悟の程が読み取れます。

オリンピックが終わり、また、国民栄誉賞なるものを誰に上げるかと話題になりましたが、私から見れば彼にすべきです。
国民栄誉賞の基準があいまいで選考をどのようにすれば良いかなどメディアで取り上げられていましたが、単純に日本国、国民にとって栄誉、功績と思えるものと規定すればよいと思います。
名前が国民栄誉賞となっていますが、賞の名前がふさわしくなければ、彼のような功績に対する賞を設けたらいいと思います。
青年伊藤さんの行為は、他国の人々にお役に立ちたいという思いからです。オリンピック選手などがメダルを目指し活躍する意味合いと違います。根底に「利他の念」があります。
彼の死が犬死にならぬよう、国民の記憶、歴史に刻むためにも。
私が彼を選ぶ基準として考えれば、

○ 友好関係を更に発展させた。
○ 国是、国際貢献に該当。
○ 事件に巻き込まれ、志半ばの無念の死に対し哀悼の意。

でも、彼のような若者が目立たないだけで、たくさんいるのでしょう。

次の出来事に驚きました。
福田首相辞任、テレビの臨時ニュースで知りました。内閣改造でこれからだと言うタイミングで。
安倍首相と同様短命に終わりました。
新聞、ニュースから読み取れることは、嫌気がさしたことがどうも動機のように思えるのですが。

投げ出したと言われても仕方ない様です。
安倍さんは政治家としては3代目となる人、福田さんは2代目です。
この辺あたりが今回の辞任の遠因のように思われます。
口幅ったいことをいうようですが、端的に言えば『ぼんぼん育ち』。逆境に弱いともいわれます。
私が子供の頃から知る、政治家、岸信介、池田隼人、佐藤栄作、田中角栄と比べると線の細さを感じます。
太平の世に育ったことも影響しているかもしれません。
徳川幕府も家康、秀忠、家光と代が移るにつれ、戦国時代を生き抜く雄々しい気風が薄れ軟弱に成っていくのと重なってきます。
日本の国家情勢をみても、国の主権が侵されている拉致事件、領土問題が国会で激しく議論されず、
弱腰になるのも、男が軟弱になっているのが影響しているのかなとも感じます。
福田首相は昭和11年の生まれです。
その当時、「男子たるものは」など言われる気風があった時代です。父親である
福田赳夫氏はそのような躾をしなかったのでしょうか。

以前紹介した『失われた手仕事の思想』を書いた塩野米松さんが憂慮した、職業的倫理感の喪失が政治家と言う職業にも出てきているでは。
仕事への使命感、責任感が希薄になっているような気がします。
困難、難局乗り越えてやろうと言う気概が出ないのは、「男として情けない」というこだわりがないのかなとも想像します。

『葉隠』の一節、“武士道といふは死ぬ事と見附けたり”の意義を解説した神子 侃(かみこただし)氏の解説文章の一部ですが次のように教えています。

「非常時の時の覚悟で、平時の時の勤めを果たせ。そのためにも非常時の際には無条件で身命を捧げる決意を固めておかねばならぬ」と。

以前、スカルノ大統領の第二夫人か第三夫人か忘れましたが、デビ夫人が「戦後、日本の男は玉を抜かれた」と言っていた記憶がありますが、言い得ているような気がします。

「男は黙ってサッポロビール」のCMが受けた時代から、今は男がお笑いで「ベラベラおしゃべり受け狙い」がモテはやされる時代に変質しました。ある美人女優がお笑い芸人と結婚しました。男性観の変化を示す一例です。たかだか40年ぐらいで変わってしまいました。

私にとって次の出来事が起きたのが残念です。
大相撲、若ノ鵬が大麻使用で逮捕されたことです。ここ最近相撲協会は朝青龍問題から、シゴキでの死亡事件など大揺れに揺れています。そのたびに相撲評論家たちがいろいろと発言していましたが、麻薬逮捕で一挙に相撲協会の膿が噴出した感があります。
大相撲の道統がこんな形で壊れていくを見て、悲しくなります。

戦後、大相撲の人気はなく、大変な思いして復興に努力したと聞いています。
世の中が落ち着くにつれ、徐々に人気が出てきて照国、千代ノ山、鏡里、吉葉山などの横綱が出てきました。(追記、思い出したので記します。江戸っ子横綱といわれた東富士もいました。引退した後プロレスに行きました。)

大関で記憶にあるのが、名大関と言われた名寄岩、長身の大内山、押しの三根山、松登、などです。
人気の証として、相撲さんが主人公として映画にもなりました。
確か記憶では、名寄岩、千代ノ山、初代若乃花、房錦の相撲さんが映画になっています。プロレスに転向した力道山も日活で「怒涛の男」のタイトルで主演しています。
千代ノ山は「横綱返還」騒ぎがあった記憶があります。吉葉山は治療して再起できたお陰と医師の名前を四股名にしました。鏡里は太鼓腹で有名でした。
房錦は出足の良さで関脇になり、弾丸房錦と形容されました。
時代としては昭和20年代後半から30年代初めと記憶しています。
昭和20年代後半からテレビの相撲中継をも始まり、相撲を見るようになりました。
私が子供頃は、強さの象徴として横綱などは憧れる存在でした。

また、当時は個性の強い相撲さんがいます。記憶にあるのが、
関脇で全勝優勝した時津山、差し身の良い、信夫山、北の洋、頭を低くして相撲をとる潜航艇岩風、巨漢の大起(おおだち)、昭和30年代後半になると、吊りだしの明武谷、打っちゃりの北葉山、モダンボーイと呼ばれた若羽黒、平幕で金色のまわしをして全勝優勝し玉ノ海、うち掛けの名人琴ヶ浜などなど。
今振返れば、相撲を強い興味を持って見ていたのは、昭和30年代の栃若時代、
40年代の柏鵬時代頃と思います。相撲中継が楽しくて毎場所のように見ていたと思います。
横綱輪島、北の湖、輪湖時代が終わった頃から相撲の醍醐味が薄れてきたような気がまします。
私自身の見解では、部屋別総当り、力士大型化が醍醐味を失わせているようでなりません。それと外人力士が増えたこともあります。
最近の相撲の決まり手を見てもわかります。
押し出し、寄りきり、突き落とし、はたき込み位しかありません。
相撲が大味です。
番付の格の違いも薄れています。大関がその典型です。10勝出来なければ駄目で9勝ではクンロク大関と言われてだらしないと相撲評論家から叱責されていました。今は勝ち越し、負け越しの繰り返し、何回目のカド番かが話題になっています。

相撲協会の刷新が叫ばれています。
私が改革するとすれば、温故知新ではないですが部屋別総当り制を止め一門制に戻します。その方が相撲の取り口が今より幅がでると思います。
一門といえば出羽ノ海、二所ノ関、立浪、高砂、時津風があります。
力士対決の種類は減りますが、昔のように一門の利益がらみの要素が持ち込まれれば敵愾心が強くなり、真剣さが強まります。
昔の巡業は一門で行い、それが一門の収入ともなりました。ですから人気力士を育てることが一門の繁栄に直結していました。
これに代わる仕組みを作ってもよいのではないか。
例えば、一門の団体戦。
一門同士での出稽古だけにしておけば、対決する相手の手の内が良くわからず、いろいろな決まり手も出るように思えます。
重量制限を設け、上限を150キロとしてそれ以上の体重のある力士は出場停止。怪我が多くなっているのも大型化が一因。
収入は減りますが、年4場所にする。今の6場所制だと鍛える時間が少ないと思う。4場所になれば、相撲取の現役寿命も長くなり、味のある相撲さんが育つ。
外人力士の採用は、相撲の道統を理解し、力士としての精神性を身に付けさす試用期間を設け、それを体現できないものは弟子として採らない。
師匠として資質が認められるものに限り、部屋を持たせる仕組みつくり。
などが思い浮かびます。
呼び戻し、内無双、外無双、外掛け、内掛け、吊りだし、打っ棄り、上手投げ、下手投げ、出し投げ、首投げ、二枚蹴り、渡しこみ、など四十八手が繰り出される相撲が見たいと思う昨今です。
呼び戻し、別名仏壇返しという技、リアルタイムで見ていませんが、フィルムで見る機会がありました。初代若乃花が鳴門海をその技で投げていますが、殺気すら感じるくらい凄みがありました。
最後に一言、昔慶応義塾大学に在籍していた教授 池田弥三郎氏は相撲を次のように定義していました。
『髷を結い、花道があるのだから芸能』であると。テレビで聞いた記憶があります。
とても含蓄のある言葉と思います。
私はスポーツである前に日本の文化、また興業的側面を指摘しているように理解します。
私が子供の頃、相撲を見る姿勢を如実に示す話があります。
大関松登が千秋楽で初代若乃花と対戦するのです。若乃花は確か優勝を決めていて、松登は負けると大関陥落となります。若乃花は対戦を思い悩んだようですが、勝利します。
勝ったために相撲ファンから情け知らずと非難を浴びます。
何故勝ちを譲らないのだと。八百長しなかった事をファンは怒っているのです。
昔の相撲ファンは幅のある見方で相撲観戦を楽しんでいたようです。

北京オリンピックを観て

8月24日閉幕した北京オリンピックで、私に一番印象に残った競技はトラック競技400メートルリレーでした。予選レースでアメリカ、イギリスなどの組がバトンミスで失格となり、僅かですが決勝戦に期待感がもてました。
決勝レースは遅かったので中継では見ませんでしたが、結果が気になって翌日のニュース番組で何度も見て、その度に身を乗り出して見入ってしまいました。アンカー朝原選手が3位でゴールする場面は何度見てもワクワクしました。

私達の世代の者は、オリンピックのトラック競技でメダルを取るなんて日本にとって夢の又夢見たいな感じがするくらい無理と思っていた人が多いと思いす。短距離走で決勝すらなかなか出られなかった日本です。
戦前、1936年ロサンゼルスオリンピック100メートルでは暁の超特急と呼ばれた吉岡選手ですら、決勝6位。しかし、日本人選手で100メートルの決勝の残った人は出ていません。

そのような状況にある短距離走でメダルを獲得したのです。
最近400メール高野選手、はじめ為末、末續選手などの活躍が目立ち陸上競技でもトラック種目が強くなってきたなとは感じていましたが。

しかしリレーでメダルを取れるなんてびっくりしました。
実際に銅メダルを取ったのです。当の選手達もインタビューに答えてメダルを首にかけるまでは信じられないと答えるほどのものなのです。
80年ぶりの偉業とニュースは報道していましたが、私にはその様な表現以上のものを感じます。

なぜなら、子供の頃、ヘルシンキ、メルボルン、ローマ、東京オリンピックをニュース、テレビなどで見ていましたが、日本が強い種目、体操、レスリング、水泳などではメダル獲得していましたが陸上競技はさっぱりだったと記憶しています。

当時、活躍した選手、体操では鉄棒の小野喬、女子体操では池田敬子選手、レスリングの笹原正三、水泳では潜水泳法の平泳ぎ古川選手、自由形の中山毅などが記憶にあります。しかし、陸上競技トラック種目ではメダルを取れていません。

余談ですが、東京オリンピックの時、当時通っていた高校の先生がチェコスロバキア、女子体操チャフラフスカ選手の体操演技を見たのでしょう。金メダルを取っていますが、彼女がよほど素敵に見えたのでしょう。授業中我々の前で、チャフラフスカは『いい女だ』と感想を漏らした記憶があります。教師という立場にある先生の表現としては多少驚きましたが、男から見るとそう思えるのは私なりに理解できました。
男の本音が出たのでしょう。
今の女子体操競技は軽業師的な色彩が強く、当時の女子体操のような優美さはなくなりました。残念なことです。

東京オリンピックで100メートルに期待された飯島秀雄選手も確か決勝戦には進出できなかったと記憶しています。この方、後にプロ野球に入り盗塁専門に足を生かしてプレーしたのですが成功しませんでした。
野球の走りと短距離走では技術が違ったのだと思います。

100メートルではイギリスのハリー、アメリカのヘイズが優勝候補で、ヘイズが金メダルと記憶しています。10秒で走れるかが話題になっていました。
ヘイズは後に、アメリカンフットボールに転向しました。
当時、アマチュアリズムがあり陸上では金にならなかったのでしょう。

他に、女子では80メートル障害の依田郁子選手が期待をされていましたが5位入賞でメダルには届きませんでした。
東京オリンピックマラソンで銅メダルを取った自衛官の円谷選手、他に重量挙げ三宅選手、大松監督率いる女子バレー、東京オリンピックから正式種目になった柔道、レスリングの選手達がメダルを取っています。

当時、私は高校の2年生でした。テレビでオリンピックを見ていましたが、親が知り合いからサッカーの入場券がもらえたので、行って来いといわれオリンピック見物のつもりで行き、サッカーを観戦したことが思い出になりました。
ただ、当時、サッカーは人気がなく入場者が少なかったと記憶しています。私もサッカーにはほとんど興味はありませんでした。
しかし、釜本、杉山選手などの名前は知っていました。この後のメキシコオリンピックでこのメンバー達が銅メダルを獲得するのです。

私の東京オリンピックでの一番の印象は開会式と閉会式です。
坂井義則選手が聖火を持って走り、聖火台を点火し炎があがるとともにハトが放たれたシーン。昭和天皇独特の甲高い声の開会宣言も印象に残っています。
入場行進などは今と違って、行進曲にあわせ整列し行進するのです。きちんとした行進を見ているだけで興奮を覚えました。各国の選手達が歩調をあわせ、胸を張り姿勢を正して行進する姿に美を感じるくらい感動ものでした。
当時、私の経験でも学校の運動会の入場行進はそうしていました。その影響もあるのでしょう。

閉会式は開会式と全く違って、整列はせず、選手達が自由に歩きながら入場してきたのです。このシーンも印象深かったです。演出だったのか自然とそうなったのか知りませんが、国境を越えて、いろいろな国の人たちが肩を組み、手をつなぎ、自由に振舞い世界が一体となっているような雰囲気を作っていました。
このシーンの印象があまりにも良く思え、後のオリンピック、ロサンゼルス頃からかと思いますが、開会式、閉会式の演出が派手になり、時間も長く、だらだらと演目を続け、競技会に似つかわしくない気がして興味がなくなりました。
北京オリンピックの開会、閉会式は観ていません。ニュースで見る程度です。

ただ、感心するのが出場している選手たちの練習にかける時間と持続性。
全人生をオリンピック出場にかけて練習に没頭する姿勢には驚嘆です。
それぐらいしなければ出られないオリンピックは凄いと言うしかありません。

朝原選手はオリンピックに4回も出ている、それだけでも改めて凄いと思います。それにしても、引退を決意した後、再度挑戦した結果が銅メダル、本当に良かったと思います。
このような、オリンピックに出るような選手はぎりぎりまで身体能力を高め、特化した技能を獲得するのでしょう。

そのような専門的取組をする人たちがいる一方で、以前より、私が気にしている事があります。一般の人達の平均的身体能力が落ちているのではないか。
10年ほど前ですが、合気道を習いに来た20代半ばの青年に基本動作を指導していた時、上半身が前屈みの半身体勢になったとき倒れたのです。この稽古は相手を倒す動作ではないのですが、倒れたのです。私は「えっ」と言う感じで多少の驚きを感じました。
『お前、何で倒れるのだ。バランス感覚が悪いなと』と声を掛けつつ、質問しました。『お前、子供のころ相撲をしたことがあるかと』聞いたのですが、『ありません』との返事でした。

その返事でなんとなく倒れる理由を理解しました。
私は子供の頃、遊びで相撲を良くやりました。相撲のような格技することで、投げられまいと踏ん張ったり、腰を落とし相手を押そうとしたりする動作でバランス感覚などを知らず知らずに身に付ける事が出来るのでしょう。
私達の世代、子供の頃身体を使う遊びがほとんどでした。

相撲、飛び馬、蹴り馬、綱引き、面子、ローラースケート、ベーゴマ、ケン玉、独楽、S字、缶蹴り、キックボール、ドッジボール、竹馬、B玉、釘倒し、などなど。

昔と違って遊ぶ環境も変わり車社会になり道では遊べなくなり、空き地が減り、公園でも制約があり、キャッチボールすら出来ないケースが増えてきた。屋外より屋内で出来るゲーム機など、小手先で済む遊びが主流なのでしょう。そんな遊び方が身体能力を高めることを阻害しているのでは。
転んだ時、手をつけず顔から倒れる子供がいるなどの話も聞いたことがあります。考えられない話です。

当社の男性従業員ですが、20代半ば、身長176cm体格も良く、私より一回り大きいのです。前述したような考えを持っていた私は試そうと思い※インデアン相撲をしようといってしたのですが、やはり私に勝てません。
腰を割って安定させる所作が身についていませんでした。
彼に質問しました。『相撲したことある』と、やはり『ない』との返事でした。
※ インデアン相撲は半身に立ち、前足のつま先を合わせ握手した状態で引っ張り合い足が動いた方が負け。
今頃の子供は相撲で遊ばないのでしょう。

やはり若い男性従業員ですが、私は気になることがあるので注意したのです。
それは、歩く時肩を僅かに左右にゆすりながら歩き、腰が僅かに曲がっているのです。
直そうと思い、私は気をつけの姿勢を取らして、立つ時の重心位置を調べてみたのです。
調べ方は、前から指で軽く押すのです。正しい重心が取れていないので後方に簡単に動いてしまうのです。かかとに重心があるからです。
それではだめだよと言い、親指付け根に重心が掛かるようにして腰を伸ばせといったのですが直りません。
正しい姿勢をとる意義を大切なものと思えないのでしょう。

ヒト科と言う動物のレベルで人を考えてみても、生き抜く上で身体能力はある程度の水準までは必要だと思います。

我田引水と成りますが、私が稽古している合気道はもってこいと思うのです。
例えば受身です。私自身も身に付けていたお陰で危険を避けられた経験があります。数名の後輩からも身に付けていたお陰で頭を打たずに済んだ話を聞いたことがあります。受身は倒れこんだ時、如何に頭を守るかが稽古の目的になります。
それに身を守る術、危険回避の心得が身に付きます。
稽古は型の反復練習でします。
競技化していないので無理なく行えます。複雑な動きが求められるなど体育的側面からも中学校の体育の正課としてはどうでしょう。精神面、技術面では、合気道の骨子が『調和』です。
いいと思うのですが。

8月という月

先月、連休を利用し親戚のいる石巻市、岩手郡岩手町へ車で行ってきました。
毎年、岩手にはブルーベリーを採りに行くので、そのついでにと1日目は石巻市福地に寄ったのです。埼玉から東北道、三陸道を使い6時間のドライブでした。そこは北上川の側に家があり山に囲まれ、川に面して当然ながら豊かな自然に恵まれた場所でした。北上川は川幅もあり雄大な風景でした。

その家は、亡くなった父の後添いの実家で、一度は私を連れて行きたいと言っていたのを受けて、はじめての訪問となりました。母の兄、姪、とその子供三人暮らしで、住まいは敷地160坪、部屋数は1階が5部屋、2階が3部屋とあり大きさと使われている木材の質の良さに感嘆しました。
建てて10年ぐらい経っていましたが、造りは良く大黒柱の太さにも驚きました。私が住んでいる地域の家のつくりと比べると質の違いを感じました。
床の間には父が書いた掛け軸が掛けてあり、それなりに書体が素晴らしく、父が習字好きだった事を改めて思い出した次第です。

訪問した際、仏壇に向かいご先祖様に挨拶をした後、5人で懇談し話の弾みで、お墓も近いので墓参りしようと言うことになりお寺に向かいました。
お寺は山の麓にあり森に囲まれた場所でした。お寺が建てられてから400年位経っているそうです。

ご先祖さまのお墓を案内され墓参りを済ませたのですが、母がご先祖の石碑もあるというので見に行くことになりました。
山腹にある墓所なので、やや緩やかな登り道を行き、それは本堂の側に立っていました。石碑は四つありました。その一つがそれでした。石碑に彫られた文字を拾い読みして、わかったのですが陸軍一等兵、勲八位と名前がありました。石碑の高さは台座を含め、私の身長ほどありました。
日露戦争に従軍したご先祖様でした。
この写真がその方です。
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明治の御世、この辺りは相当辺鄙な場所だったと思うのですが、このような地域でも村の人たちが戦争に命を捧げた方々を大事にし、その功績に感謝の意を示すために建てたことを知って、明治時代の空気を吸ったような気がしました。あの時代、国の隅々までこのような風潮があったことを実感しました。
40年近く前、仕事の関係で熊本に4ヶ月間ほど滞在した時、黒髪山(記憶では?後日、気になり地図で調べた所、黒髪町、立田山と思われます)付近に日露戦争で戦死され方々のお墓を見たことがあります。位は将校の方々と記憶しています。
しかし、個人名での石碑は無かったと思います。
この地域では一等兵でも個人名を彫り、その功績に感謝しているのです。
下の写真は慰霊の碑です。
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当時の兵隊さんがいかに大事にされていたかを示すものです。裏を返せば同時の国際情勢が日本にとって危機的な状況だったとも言えるのではないでしょうか。
私の記憶では、子供心に映画などで知った知識ですがロシアの極東進出ではなかったかと思います。
帝国主義、覇権主義が当たり前の時代、国際社会では食うか食われるか当然のように行われていました。当時の国民は国の存続を守ること第一と世論は出来ていたのでしょう。
三国干渉という言葉も知りました。ロシア、ドイツ、フランスが清(当時の中国の呼び名)に、日清戦争で勝利し割譲されて日本の領土となった遼東半島を返せと干渉し、清に恩を売る形で、甘い汁を吸うために自国の権益を認めさせたのです。当時の日本国民は悔しい思いをしたことでしょう。映画でもそんなシーンがあったと記憶しています。

そんな背景があった時代、日露戦争で勝利したことはさぞ嬉しかったことでしょう。それも兵隊さんのお陰と自然に感謝の念が起きた結果といえます。
だから、石碑まで建てたのだと思います。

それにしても、国際社会のありようは当時も今も変わっていないような気がします。国際社会では国益優先が主題である以上、戦争と言う形でなくても争いごとは絶えないと思います。
国民の安全を守ると言う大命題を果たさなければならない国家はそれを忘れてはならないし、又、国民に対しそのため果たすべき義務を明確に伝えなければ成りません。
その関係が無ければ国体は揺らぎかねません。
明治の人たちはそれを理解していたのでしょう。

最近読んだ本に『合戦の文化史』と言うのがあります。その本の第2章に「古代日本の軍事体制」とあり次のような記述がありました。今から1500年ほど前の話です。
ちょっと長くなりますが、なんとなく今もこんな情勢下にあるような気がしたので引用します。
「・・・・・古代の日本は、先進国隋・唐の諸制度や文化の摂取につとめた。
その点からすれば、日本は中国文化圏の中の一後進国であった。しかし大化の改新、古代国家の誕生は、中国文化に対する憧れと言うよりも、むしろ大国隋や唐に対する脅威と、ナショナリズム的自覚により導かれていたのである。
6世紀から8世紀にかけての時代の、日本をとりまく東アジアの情勢は、今日の日本人には想像も出来ないほど緊迫した状況にあった。・・・・・中略・・・・・
7世紀にはいると、隋をたおして大帝国を築いた唐が、領土拡大をはかって朝鮮進出して、百済、高句麗を滅ぼし、百済救援のため出兵した日本軍も663年の白村江(はくすきえの)の戦いで潰滅した。
勝ちに乗った唐はいまにも日本に押し寄せてくるかの勢いをみせている。・・・・・中略・・・・・このような幼稚な部族国家が、唐の大軍の遠征を受けたらひとたまりもない。心あるものは、一刻も早い中央集権的な統一国家を待ち望んだのである。・・・・・」
この背景が、軍事体制として徴兵制度を確立していったと記述がありました。
そういえば、明治維新も西洋列強国の侵略を目の当たりにして、「清」みたいになってはと心配から起きています。

今の日本の情勢下、明治時代の日本人が今に生きていたら、どのような対応をするか興味があるところです。
毎年、8月になると先の戦争の特集記事が出ますがほとんどが個人の体験談が多いように見受けられます。そして見解は決して悲惨な戦争はしてはならないと言う反省の弁を記述するに留まるのです。
誰もが戦争はしたくはないと思います。どうして先の戦争が起きてしまったのか詳しく分析された特集記事があっても良いように思います。
一国だけでは戦争は出来ません、相手があって出来るもの当事国の歴史から大局的冷静な分析を持った新聞記事が書かれてしかるべきと考えるこの頃です。

8月15日は終戦記念日です。
以前ある時、当社を訪れた方と懇談していた時、8月15日は何の記念日聞いたことがあります。その人は知りませんでした。
戦後生まれの私にとって毎年、8月15日は物心ついた時からニュース、ラジオで知らされていたので忘れません。
今回の石巻市訪問の経験は改めて、お国のために命を捧げた人に対し深く感謝しなくてはいけないと思わされました。
下の写真は、他の石碑です。

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<追記>
以前ブログで取り上げた文言を、改めて記述します。
葉隠の解説書を書いた神子 侃(ただし)氏は「はしがきに」こう書いてありました。
「だが、危機不感症的な泰平ムードの今日こそ、葉隠の中から前向きにくみとるべきものが少なくないのではあるまいか。」
昭和39年一月に解説書は出版されているのですが、40年以上前に日本が危機不感症になっていることを警告している。私は当時高校生でそのような風潮を感じていませんでした。
しかし、今はわかります。当時も今も同じ様な風潮があることを。

気になる事

いつ頃からか分からないが、気になってつい見てしまいます。
「ペンの持ち方」「箸の持ち方」。
スーパー、ショッピングモール、コンビニ、家電販店などに買い物に行く際、側で、店員さんが書き物をする時、正しくペンを持っているかとつい見てしまいます。
何時だったか、店員さんにそんな持ち方で書きづらくありませんかと聞いたほどです。ペンの持ち方は、親指、人指し指で挟むように持つのです。
ペン、鉛筆、毛筆などの持ち方は親指、人指し指、中指で支え軽く持つ心持でと教わったような気がします。
親指、人指し指で挟むように持つと手首に力が入り運筆に滑らかさが出ないように思います。
長時間書き物をする時、その持ち方だと疲れるのでは。

正しいペンの持ち方というものがあるのに学校で教えなくなったのでしょうか。習字を習っていれば3本の指を正しく筆に添えて書く練習をするわけですから、鉛筆などもこう持ちなさいと学校で教導していれば正しい持ち方が身につくと思うのですが。
先生が、うるさく注意しなくなっているのでしょう。
見た目にも悪く、不器用に見えます。そのような持ち方だと、まず筆はうまく使えないでしょう。私から見ると欧米の人達のペンの持ち方に似ている感じがします。
正しいペン、筆の持ち方には機能美が感じられます。

あるテレビで、大食いの家族を紹介する番組を見ていました。確か、柔道一家が紹介され、食事の様子を放映していました。運動量も多く柔道を稽古した子供達は、たくさん食べていました。
その子供達の箸の持ち方に目が行ったのです。箸を5本の指で鷲掴みに持って食べていたのです。低学年の子供ならいざ知らず、そこそこ年の行った子供です。それなりに箸を正しく持つような姿勢があれば、使い方が上手じゃないと思うのですが、正しく箸を使おうという気配が見られませんでした。
私の親戚の子供にもそういう持ち方をしていたので注意した記憶があります。

柔道は古流柔術から発展した武道です。礼に始まり、礼に終わると指導者はよく言いますが、作法にも気を配って指導してもらいたいものです。
ある時、川越運動公園内にある武道館でも、剣道を稽古している子供たちと出会ったことがありました。稽古前なのでしょうか、先生を囲んで懇談していましたが、道具(竹刀、バッグ)など散乱したままにしておいてありました。
武士の魂といわれる剣の代用品として扱わなければならない竹刀にしても置き方に配慮が感じられませんでした。
食事でも姿勢をよくして食べることも稽古です。竹刀の置き方(せめて人に跨れないように置く配慮、)一つにも、武道のスポーツ化の弊害をみたような気がします。
※ スポーツ 遊戯、競争、肉体鍛錬の要素を含む身体運動の総称 広辞苑より。英和辞典で調べると、意味が娯楽、楽しみ、気晴らしと言う記述もありました。

箸の持ち方一つにも日本の食文化があると思うのです。作法としてある箸の持ち方を正しく伝えることも大切です。
ペンの持ち方で前述したように、そのような持ち方には美を感じられません。
それぞれの持ち方、ある意味で技です。その目的に適う持ち方として確立されたものです。
何かそういうものが今の日本ではないがしろにされているような気がしてなりません。

私は学生時代、合気道部に所属し、武道の稽古は修行と言う意味合いで取り組んでいました。前述したスポーツの意味、気晴らし、娯楽、とでは目的が違って行きます。
礼儀作法というものの何たるかは合気道の師範から教わりました。隙の無い立ち振る舞いが基になっていると。若い時でしたから知識として判った程度でしたが、何時の頃から稽古と思い、なるべく日常生活の中で作法には注意を払うようになりました。
人前を通らない、窓の無い戸を開ける時、角を曲がる時人の気配を探りながら、歩く時は姿勢よく歩くなどなど。

開祖植芝盛平は『歩く姿に武がある』と仰いました。それを再認識したのが
開祖植芝盛平がある神社の前を歩く姿の映像で見た時です。70才中頃の映像と思うのですが、和服でしたが肩の線が撫で肩で力み無く、歩いているのです。
やはり、鍛えた方が違うと感じたのです。
私なりにその言葉の意味を理解して、歩く時姿勢良く歩き咄嗟の時にも身をかわせるようにと。
歩く時は次の事を注意して歩きます。
肩の力を抜き、胸を広げ、上体を下半身にしっかりと置き、膝はこわばらず、ゆとりを持たせ、重心が親指付け根に来るように。
作法について前述した認識を持つようになっていた頃、10年前に合気道の師範をされている方が『武道の礼儀作法』と言う本を出版されていたので改めて勉強のためと思い購入しました。

本の構成は、次の内容でした。
一部 武道場作法
二部 「礼」とは何か
三部 一般儀礼
となっています。

作法の根底には、相手に対して失礼の無い思いやり、隙の無い所作にあると理解しました。
筆者は今の日本人が平気で物、人を跨ぐ行為を戒めている記述もあり、そうだと実感する内容、その通りと感じることが多々ありました。
二部の中に書かれた「「礼」を取り巻く環境についての節で行動基準を見失った戦後日本」の中に、私自身と同じ様な見解を記述していたので参考のために引用しました。

「日本人の品位は、明治、大正、昭和、平成と確実に低下していることは多くの人が指摘している。筆者もその通りと思う。現代の日本人の食事作法は世界一汚いと言う意見ある。知人の会社で最近、三人のアメリカ人を採用したが彼らはこんなことをいったと言う。『日本人の礼儀作法をというものを知って、その合理性や美しさに感動して日本に行きたいと思った。周囲のアメリカ人は日本人と比べて、なんとガサツだろうと思った。だが、来てみたら、日本人はアメリカ人以上にガサツだ』

この記述に類似している話が『剣と禅』に書かれていました。
類似とは精神を学ぶという点ですが、記憶している内容は確かこうだったと思います。
「第1回剣道世界選手権に参加したフランス代表に、当時の連盟会長木村氏が質問するのです。何故剣道を稽古されるのですかと、返答はこうです。私たちはラグビー、サッカーなどで鍛えましたが、剣道で古武士の風格を身に付けたいために稽古するのですと」

これなども前の話同様外人が日本文化の本質を理解し、当の日本人が分かってないことを示す事例です。スポーツとして剣道をすることは結構なことですが、勝負にこだわるあまり、何を身に付けなければならないか忘れられる傾向にあることを指摘したかったのでしょう。
それにしても、今の若い人「古武士の風格」と言ってもその意味を理解できるでしょうか?
「武士の情け」同様に理解出来ない人が多いと思います。

合気道師範が書かれた本で一番実感したのがはしがきの一節です。
これなどは、武道の稽古の本質を忘れている事例ですので引用します。
要は、現状日本剣道が精神性、礼儀作法に重きをなしていないことを言いたかったのでしょう。
「日本から派遣された剣道の指導者が、竹刀に馴れさせると言う理由で子供たちに竹刀を飛び越えさせながら準備運動をしている姿を見て、『これは私が期待したサムライケンドーではない』と、子供をつれて帰った母親の例が最近報告されている。彼女達(アメリカ人)は、日本のサムライはシナイをまたがない、また、またいだら決闘となると信じている。」
剣道を習わしている今の日本の親達にこの話を聞かせて感想を聞きたいものです。

柔道では今でも思い出すことがあります。
東京オリンピック重量級決勝戦ヘーシンク、神永の試合で、まだ精神性を垣間見られる所作がありました。道着を直す時は正座をして行っていました。ヘーシンクが抑え込みで勝利した時、仲間が場に立ち入ろうとした時、ヘーシンクは仲間を制止して、試合場に入れませんでした。まだその頃は神聖な場所という認識があったのでしょう。
ペン、筆、箸の持ち方一つにも日本伝統文化があるのだと感じるようになったのは、年のせいなのかも知れませんが若い時気づかないことも年を経て理解できるようになるのかなと思うこの頃です。

一億総白痴化という言葉

私はこの言葉を口にする機会が、最近多くなりました。
当社に訪れる人たちと仕事の話しついでに、いまの社会的風潮問題の話題が上り、それについての見解を話し、返答を求める形で会話が進むケースが多々あります。
そんな中、私が60過ぎと言う事もあり、若い人たちよりは人生経験も長く、その分を知識が多い面があると思いますが、それを差し引いても私が使う言葉を知らないケースが多いのです。
例ですが、今の若い人はすぐ「キレテ」しまうけど克己心が足りないと話すと克己という言葉を知らない人がいました。
己に克つという意味で、自分の心をコントロールできる能力を意味しているのだと、説明してはじめて理解するようです。
他に、従容、矜持、泰然など心のあり様を意味する言葉の漢字の知識不足を特に感じます。

(思い出したので、追加します。「公僕」もそうでした。私が中学の時社会科で習ったが、教わらなかったかと問いただしたくらいです。)

日常生活の中で、己の心の有様を見つめる作業が少なくなっているのか、はたまた親が心の持ち方の大切さを躾ず、精神面での注意が少なくなって、知る機会が減っているのかなと想像してしまいます。

人様々だから、たまたまその人だけが知らなかったのかと思うのですが、漢字を多く知らない人が増えたような気がします。
その点を指摘すると、今はワープロで文章を書くようになったので書かずに漢字を忘れてしまうと言い訳をするのがオチです。
しかし、本当でしょうか?
最近の人は本を読まなくなったと言われるようになって久しいですが、読書離れが影響しているように思います。
そのため、いろいろな漢字を知る機会も減るわけです。
私の伯母が教員をしていたせいもありますが、折に触れ教育の基本は「国語なの」と聞かされていたせいで国語の一部漢字を多く知っていることは良いと考えるようになっていた事もあり、語彙の豊富さが大切なことと感じています。

最近、一億総白痴化という言葉が何時頃から使われていたか、ヒストリーチャンネルの番組「露木 茂の映画ニュースで見る昭和」で知りました。昭和31年です。そんな早くに出てきた言葉かと知り驚きました。
私の記憶には、そんなに前からかと言う認識がなかったので!、
私の記憶では十代後半頃にその言葉を知ったよう様な気がします。
前述したように、当社に仕事で来る30、40代の人たちと会話する時に、私が使った言葉の意味を理解できない時、「一億総白痴化」を引用し、読書の大切さを説明するのです。

私は「一億総白痴化」については次のような認識はありました。
評論家、文筆家、ジャーナリストである※大宅壮一がテレビと言う媒体の問題点を指摘した言葉と。そんなにテレビが普及してない時期に、警鐘を鳴らすような形で大宅壮一がその言葉を用いたのか?。

※出生 1900 年(明治33)9 月13 日、大阪府富田村(現・高槻市)に父八雄、
母トクの三男として生まれる。生家は醤油の醸造と小売りを兼ねていた。
履歴 1922 年、第三高等学校を卒業し、東京帝国大学文学部教育学科に入学、
まもなく社会学科に転ずる。1925 年、新潮社嘱託になり、『社会問題講座』
を編集。1928 年には「総合